マレーシア
マレーシア・・パンコール島(1) Feb 2005
 骨肉茶の誘い
ある日突然、K君から骨肉茶(バクティー)が食いたいとの打診が有った。骨肉茶とは、マレーシアの中国料理で、このK君、昨年私と一緒にマレーシアに行った際に食べたこの料理の虜となってしまったのだ。
何の考えも無しにこの申し入れに賛同した私。調度2月に何処かに行こうと思っていた矢先だっただけに、すんなりとその場で返事をしてしまった。折りしもその日は、6年間ものマレーシア任期を終え日本に帰って来ていたSさんが、出張でこの地(地方の会社)に来ていた。Sさん曰く「俺も行く」。

成田に着いたのは、なんとカウンタークローズの僅か5分前。前もって空港に着いていたSさんに、発券からチェックインの段取りをして貰ったお陰で、なんとか無事に機中の人となることが出来た。
MH機内(今回はMHの直行便)は実に豪華で、シート背面には液晶テレビが備え付けられていた。それと、今回は総勢3人の旅だ。いつもは1人で誰とも話すことが殆ど無いだけに、気分はもう遠足気分だった。
 憩いの島パンコール
豪華客船KL着の翌日はSさんを残し、K君と2人で目指すはパンコール島だ。Sさんは急遽仕事で別行動となり、それを尻目にK君とのんびりと島のリゾート気分を満喫するつもりだ。
最も安上がりな交通手段のバスの旅(16RM=約¥450)は思いのほか快適で、パンコール行きの船が出るルムッまでの4時間半をのんびりと進んで行った。

ルムッの桟橋には、大勢のインド人でごった返していた。マレー人でも無く、中国人でも無い、居るのは老若男女のインド人だけ。それも何故か一様に嬉々とした表情だ。その後、何故これ程のインド人が島に押しかけていったのか判明することになる。
民家その1フェリー(3RM=約¥80)に乗り45分後、ついに目的地パンコール島に到着。そこから更にタクシーで向かった先はテロ・ニパーだ。そこで我々を待ち受けていたのは、透き通るような海と色とりどりのサンゴ礁・・って無いじゃん。

のどかな午後、KLのような喧騒も無く、観光客の姿も殆ど見受けられない。時折目にするのは、疾走するバイクだけ。
早速、投宿先のホテルでレンタルバイクの交渉開始だ。でも、バイクはノーグッドコンディション。3台並んだバイクの全てがノーグッド。なんで直さないんだろう。不思議なことの多いマレーシア、これも不思議の一つだ。

民家その2別のレンタルバイクを扱うレストランで交渉すると、国際免許が無ければダメと言われてしまった。なんでも、この島はポリスマンが多く、とてもじゃないが無免許な輩にはバイクを貸せないんだそうだ。そうハッキリと言ったのは、これまたハッキリと判るオカマちゃん。オカマちゃんは手厳しい。
諦めずに数軒隣で交渉すると、今度はすんなりと貸してくれた。ここでは、ポリスなんて滅多に居ないから大丈夫と太鼓判を押してくれた。 更に、ヘルメット被らなくても良いのか聞くと、「もし、ポリスマンに出くわしたら、その時に被ってね」。

いったいどっちが正しいんだろう。マレーシアの不思議がまた一つ増えてしまった。まぁ、どうでも良いけど。

  やっぱり釣りをしなくちゃ


翌日、スノーケリングへ。ビーチボーイならぬその辺の奴らが皆声を揃えるのは、「コーラル・ベイでスノーケリングしよう!」だ。なんでもこのコーラル・ベイは、パンコールで一番綺麗な場所なんそうだ。名前からして珊瑚を望める格好のポイントなんだろう。って思ったら、死んだサンゴの死骸とゴミの浮いた海・・。
東海岸の海を知っている私にとっては、魅力の無いところだが、魚だけは異様に多いんで良しとするか。

午後、船をチャーターしての念願の釣り大会の始まりだ。実は、ここパンコールを選んだ理由は、ガイドブックに『どこでも魚が釣れる』と書いてあったからだ。無類の釣り好きの私とK君の一番の目的は、釣りなのである。が、しかし、その辺の奴らに聞いてみると、「魚は全然釣れない。釣れてもこまい奴だけだ」と無慈悲な言葉を吐くしか知らないのだ。
まずは、やってみなければ判らない。釣れないってのは、ただ単に奴らがヘタなんだろう。俺たちがやれば、一際浜辺を賑わすようなでっかい魚を釣るに違いない。釣りバカ特有の、期待だけで魚がどんどん大きくなる病が発症してしまったようだ。そして、釣りに耽る二人。見たことの無い魚がそこそこに釣れたのでした。

それはそうと、私は日焼けは出来ない。いつもの事情(最近は、当たり前過ぎてこの理由を書くことも無くなってしまった。どうしても事情を知りたい方は、遡ってHPを参照しよう)で、私が今居るのは首都圏になっている。ここは出張先、いまは冬、日焼けなんてするハズも無い。してはいけないのだ。日焼け止めをたっぷりと塗り、グラサンにほっかぶり。とてもじゃないがまともには見えまい。ここの人たちも、いかにも珍しい生き物を見ているようだ。ん、K君までもがあきれた視線をこちらに送っている。
 スマトラ沖地震の爪痕
ぼうず昨年12月にスマトラ沖地震が発生した。幸いにもここパンコールには津波の影響は無く、被害を受けた様子も皆無だった。ただ、怖いのは風評被害で、TVでは連日、津波の被害を流し続けた。それが遠因となり、被害の無いところでも被害の有ったように感じてしまい、いつまた津波が襲ってくるのか不安になる。不幸にもここパンコールには観光客がめっきりと減り、閑古鳥がそこかしこで鳴いていた。全くと言って良いほど日本語を話せないのに、なぜか日本語の名刺を持つガイドのノンさんは切実に話してくれた。

それはそうと、Sさんは今頃どうして居るんだろう。このままKLIAで合流しようって言おうかな。そしたら、さぞかし凹むんだろうなぁ。

Russia(2) ← BACK | UP | NEXT → Malaysia(2)


Copyright 1998 mizyuki All rights reserved.