カンボジア・・シェムリアップ(2) Jul 2005
 アンコール・トムの苦悩
入り口の石像
1日目はのんびりとアンコール・ワットだけを観光し、2日目以降は他の遺跡を観て回るつもりでいた私にとっては、計画(一応)が狂ってしまった。大枚叩いて3日$60のチケットを購入するという発想が沸かない私は、1日で遺跡群を観て回ることにした。ルートはアンコール・トム〜トマノン〜タ・ケウ〜タ・プローム〜バンテアイ・ステイ〜アンコール・ワットという強行な日程だ。

バイヨン寺院



アンコール・トムは広大で、高さ8mの城壁が周囲12kをぐるりと囲んでいる。多数の遺跡がその中に点在し、今も訪れる人々を迎えている。中央にあるバイヨン寺院が、まるで迷路のように複雑に入り組んでいる。

観世音菩薩


幾多の受難を受けたカンボジア。古くはアユタヤ朝の支配を受け、その後フランスの植民地となった。またベトナム戦争の国内拡大により内戦まで勃発。やっと内戦が収まったかと思えば政権を握ったポルポト政権による弾圧。それと時期を合わせるかのようなベトナム軍の侵攻。そして多くの難民発生・・。
ピミアナカス寺院


中でも、ポルポト政権下での弾圧は厳しく、都市部の破壊と知識層の粛清は国際世論を騒がせた記憶が新しい。
今でも、その後遺症は大きい。本来であればカンボジア国家を支えるべき政策論者、教育者、技術者。そして精神的支柱となる僧侶の多くが殺戮された為、基盤となる人材が不足してしまっている。
ユーモラスな壁画



記録に残る三大虐殺事件が有る。もちろんこの弾圧もその一つだ。他にナチスによるユダヤ人抹殺を目的としたホロコースト。第二次大戦時のアメリカによるヒロシマ・ナガサキの原爆投下(日本の南京大虐殺との説も有り)。・・我々はその事実を風化させてはならない。

Cambodia(1) ← BACK | UP | NEXT → Cambodia(3)


Copyright 1998 mizyuki All rights reserved.