ネパール
ネパール(2)・・ヒマラヤ Jan 2008
 3泊4日トレッキングツアー
空港から市内へ送ってくれた客引きのおっさんが、朝早く投宿先のホテルまで押しかけてきた。半ば強引に紹介されたのは、とある旅行会社の「トレッキングツアー」だ。コースは、カトマンズ発→ポカラ→ナヤプル→ヒレ(宿泊)→ゴレパニ(宿泊)→ヒレ(宿泊)→ナヤプル→ポカラ→カトマンズ着と、ツアーといってもガイドと二人だけで山登りをする4日間の行程だ。

1日目
早朝6時にホテルを出発。まだ暗いバスターミナルに到着すると、凛々しい姿をしたハイエースが私たちを待っていた。徐々に明るくなり、ピカピカに見えたハイエースのお洒落なアクセサリーが見えてきた。真一文字に亀裂の入ったフロントガラス、サイドウィンドウに至ってはわざわざアクリル板に嵌め替え、そして何故か絶対に閉まらない窓が一箇所・・。どう考えてもこの寒空では、外よりも車内のほうが寒いのが明らかだ。
乾魚売り
クラクションを鳴らし続け、トラックやバスを蹴散らし、定員オーバーのハイエースがポカラに着いたのはわずか5時間後。途中二度の食事休憩を取ったわりには、かなり早い到着だ。ポカラの街では、平塚から遠く富士山を見るかのように、建物の隙間からエベレストの山並みが一瞬だけ垣間見ることができた。ガイドいわく「トレッキング中は、あの山が目の前で見えるんだよ」。

ポカラには停まらず、そのまま今回のトレッキングのスタート地のナヤブルまでは更に1時間ちょっとで到着。そして、道路脇からいきなりトレッキングがスタートした。・・最初の3歩で不安が広がってしまった。勝手な思い込みでなだらかな傾斜を登るイメージを抱いていたのだが、実際には、急な傾斜の石段が待ち構えており、足場の悪い道に危うく足を挫くところだった。

トレッキング入山記帳このコースは、ヒマラヤを見ることが出来ないコース。最高地点となるゴレパニまで登らない限りは、ヒマラヤの影も形も全く拝むことができない。残念ながら、今日と明日はヒマラヤの雄姿をただ想像するしかない。

川沿いの傾斜をもくもくと歩いて行くと、気持ち良い程の青空が広がり、まるで初夏を思わせるような日差しだ。冬なのに暑くなり汗もかいてきた。それにしても、キツイ・・。意気揚々と歩を進めたのは良いが、だんだんと疲れが出てきた。普段から全く運動の「う」の字もやっていないオッサンには、この足を右左に出して動かす運動がやけにキツイ。旅行会社に使わない荷物を預け、たかが3キロ程度に減らした荷物が10キロにも感じてしまう。荷物は圏外で使えない携帯電話と充電器のセット、ホットシャワーを浴びれずかと思い準備したシャンプーリンス。更に疲れが増すと、足が上がらず石に躓いてしまい益々疲れを誘ってしまう。おまけにあちこちにロバの糞が落ちていて、避けるのにもひと苦労だ。
ヒレのロッジ
2時間半後、ヘロヘロになりながら今日のベースキャンプのヒレに到着。たかが2時間半、されど2時間半。運動不足の身には、かなりハードな行軍だった。
先客は、スコットランドから2人、スウェーデンと韓国からそれぞれ1人づつのメンバが居た。日中は暑かったのだが、さすがに日が暮れてしまうと寒くなり、皆でキャンプファイヤーならぬただの焚き火を囲み暖を取るしかなかった。
夕食のメニューを見て驚いた。飲み物を始めとし、麓に比べ倍以上の値段になっていた。上に行くにつれ更に高くなるそうだ。確かにここまで荷物を運び上げるには、それなりの手間が掛かるのは頷ける。ここよりも更に上に運び上げるのだからさもありなん。
夜も更け(といっても8時だが)することもなく、ただ寒いだけ。部屋に入ると、そこは簡素なまるで工事現場の簡易宿泊所だった。寒がりな私は、ブランケットを3枚借りて就寝。こんな時間、今どき小学生ですらまだ間違いなく起きている時間だ。

2日目
朝5時起床。年寄りみたいだが、夜早く寝たんで早く起きるのはあたり前だ。朝食前に宿の周りの風景を写真に収めようとしたのだが、なんと電池切れ。予備の電池をセットしてもこれまた電池切れ、よもや不良品か!今日これから目指すのは、ヒマラヤを眺望できるダンプスだ。そこまで行ってヒマラヤの眺望を写真に収められないんじゃ楽しみが半減してしまう。これが不幸の前兆とこの時知る由もなかった・・。すると、その様子を見ていた宿の主人が笑いながら教えてくてた。「寒いからだよ、暖めれば復活するよ」。

「昨日のは、まだ序の口(こんなこんな言葉を知っていた)今日はかなりキツイよ。これから7時間掛かけて登るんだ」ガイドの一言で朝からテンションが下がってしまった。なるほど、ティルケデュンガのつり橋を渡ったところで、今回のトレッキング最大の難所が私の前に立ち塞がっていた。標高差が実に600メートル、まるで天まで昇る階段のようだ。この急勾配の石段を登らなければならないと思っただけでぞっとしてしまった。

なるほど、これは過酷だ。昨日のトレッキングのそれが散歩にしか思えない。ガイドとの会話どころではなく、喘ぎながらもくもくと登るしかない。周りの景色を眺める余裕すら皆無で、何度も何度も休憩を取りながらの難行だ。
ふと、目の前を行くガイドの歩き方を見ると、ただ闇雲に段を上がるのではなく、段差の小さい石段を探して右左とジグザグに歩を進めていた。なるほど、これだとまっすぐに登るよりも、疲労の度合いが軽減される。よく見ると、大きな段差の中間に補助石のような小さな石段があり、それが実に良く計算されたように敷設されている。何度も休憩を取り、ゆっくりと、と言うよりもノロノロと進む。

棚田の風景途中、ウレリのロッジで昼食を取り、しばらく歩き始めた頃、突然脚が、両方の脚がつってしまった。痛くて、山道のど真ん中で一歩も動けなくなってしまった。麓に降りるには遠く上まで来てしまったし、上に登るのもこれじゃとても無理だしと考えていたら、前方からロバの集団がやってきた!。こいつらは、毎日荷物を背に山道を昇り降りしているんだろう。自分たちの庭と思っているのか、まるっきり避ける気配すらない。
脚がつり、避けようにも全く身動きの取れない私、どんどん近づいてくるロバ軍団。緊急事態だ。一瞬脳裏をよぎるのは、日本で放送されるニュース速報だ。『ネパールでトレッキング中の中年旅行者が山中でロバに踏まれ死亡・・。』私の通夜に女房が慰問客に対し「ロバに・・。」と笑いを堪えて対応する姿が浮かんで来た。まさに絶体絶命!その時、ガイドが私の身体を引き釣り道端に避けてくれた。・・チップ弾んでやろうっと。
先行くロバ軍団
山道を、ロバの糞を避けながら登って行く、標高が上がるにつれ、寒さが増してきた。いつの間にか白いものが舞っていると思ったら。・・予想もしていなかった雪が降ってきた。今日の目的地ゴレパニまではまだ遠いが、休憩するよりも雪道を急いだほうが良いだろう。遭難でもしたら大変だ。
出発から6時間後、寒さに凍えながら、やっと着いたゴレパニのベースキャンプなかなか景観の良いところ。部屋の窓からはエベレストの山々が垣間見え、今までの疲れが吹っ飛んでしまう程。・・の予定だったのだが、この雪では何も見えない。曇り空で見えないんなら何となく我慢できるかも知れないが、雪で見えないのはチト辛い。

夕食後にガイドと打ち合わせだ。予定では、明日の夜明け前にここ(2853m)から展望台のある景勝地プーンヒル(3198m)へ、1時間掛けて行くことになっていたのだが。この天気で変更を余儀なくされそうだ。
「もしかしたら、この雪で山が見えないかも知れないんだけど。」
「でも、朝になれば晴れるかも知れない」
「運が良ければ山が見れるかも知れない」
会話がどんどん怪しい方向になってきた。伴い、またもテンションが下がってしまった。
結局、夜明け前の5時にガイドが天気確認をし、晴れれば私を起こして“日の出詣で”、晴れなければ起こさないんで“ふて寝”ってことに決めて、今日は就寝。にしても、まだ7時!この時間は寝る時間じゃない。でも暖房は食堂にあるドラム缶の薪ストーブが一つあるだけ。凍えそうに寒いんでブランケット4枚借りてやっぱり就寝。

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