韓国
韓国・・ソウル(2) Apr 2004
 背比べ自慢
軍事停戦会議場と板門閣又もバスに乗り込み、次は「自由の家」へ移動だ。ここからは整然と2列歩行が義務付けられた。速やかに行動し、列を乱さないようにと指示を受けた。不測の事態に警備兵が我々ゲストを守り易くする為だそうだ。
展望台からは、軍事境界線をまたがる格好の建物が5棟見えた。平屋の建物で、青い方が国連、銀色が北朝鮮でそれぞれ管理している施設だ。北朝鮮の銀色の施設が一回り大きいのが判る。建物でも旗でも、眼に付くものは、こちらで大きいのを作れば向こうでは更に大きく、向こうで大きく作ればこちらは更に大きく・・。まるで、日本の太鼓日本一作り競争をやっているようだ。そして向こうの高台には、こちらを見下ろすかたちで北朝鮮の「板門閣」が陣取っていた。
 記念撮影大会
もともと「板門店」という名前は、朝鮮戦争後の休戦会談に參加する中共軍の代表達が会談に訪れた際に、場所を容易に探せるようにと、当時の会談場所の近くにあった煙草屋を兼ねた店の名前を漢字で「板門店」と表記したことに由来するそうだ。今では、軍事停戦会議場のある建物を指している。

警備兵と記念写真青い屋根の建物の一つである「軍事停戦会議場」が今回のツアーのメインだ。テーブル上の国旗とマイクを挟んで、こちらが韓国で向こうが北朝鮮だ。空気さえ動かないような会議場の中。時代の流れか、マイクが写真などで良く見るスタンド型ではなく、集音型となっており、分断の象徴とされていたコードはテーブルの上には無かった。
普段は絶対に自由に行き来の出来ない国なのに、この建物内なら自由に北朝鮮に行くことが出来る。
但し、自由なのはあくまでもこの建物の中だけだ。扉の向こう側へ行くことはすなわち亡命を指す。北朝鮮側からこちらに来るには、一斉射撃の洗礼を受けるそうだが、こちらから北朝鮮へ行った際には、どういう扱いを受けるんだろう・・。

微動だにしない警備兵北朝鮮側に対峙する韓国軍兵士は、皆揃って黒いサングラスをしている。これには意味がある。今でこそ両国の関係はそれほど悪化していないようにみえるが、以前はかなりの緊張状態だった。
韓国兵士と北朝鮮兵士とが目を合わただけで、一発触発の自体にまで発展しそうになった時もあったそうだ。また、中には韓国軍兵士に銃口を向けて挑発行為を行う北朝鮮軍兵士までいたそうだ。
そんな時、視線と表情を隠す黒いサングラスは便利だ。また、それだけに留まらず、サングラスの内側に自分の後ろの様子が写り込み、背後を防御しやすい利点もあるという。今では、ここに駐留する際の必須アイテムの一つとなっている。

軍事境界線のコンクリート建物内では、警備兵がテーブルを挟む位置に部屋の中央で軍事境界線を跨ぎ、もう一人は北側の出入り口を固めている。二人とも、微動だにせず警護にあたっている姿は、独特の重々しさを漂わせていた。

そして建物の外、ちょうど会議場の警備兵が跨いでいる見えない軍事境界線を延長する形で、コンクリートの石が盛られていた。大きさにして幅50cm高さ3cm程のコンクリートの石。これが眼に見える軍事境界線だ。これを作る作業でさえ、仲良く(悪く)半分ずつ作ったという。

半身姿の警備兵同じく建物の外では、警備兵が身体半分を建物の陰に隠し、半身姿で警備にあたっていた。なにか緊急を要する自体となった場合、すぐに建物の影に隠れ身を守るようにする為だ。

「さぁ、写真を撮って下さい。警備兵と一緒に記念写真を撮りましょう」・・この一言でさっきまでの緊張感が、またも一気に削がれてしまった。
微動だにしない警備兵に並んで記念撮影をするゲスト。さっきまでは、写真撮影は勝手にしちゃいけないって言ってたのに・・。ここは軍事機密なんて無いからいいのかな。それはそうと、警備兵はどんな思いでいるんだろう。

とどめは、駐屯基地内の土産ショップ。「記念に如何ですかぁ」って、日本円で買い物が出来るなんてホントに観光地に来たんだと思ってしまう。でも、値段はとても良心的でありました。
 帰る二人
今年(2004年)7月にも、ここ板門店から米軍が撤収する計画があるそうだ。日本ではそのような情報を聞いた事が無かったが、ガイド氏とその旅行代理店では、もう既に失業問題を心配していると言う。
米軍が撤収すればどうなるだろう。代わって国連軍の他国が駐留するのは考え辛い。それに、もし、韓国駐留米軍までもが撤退する事態になれば、韓国経済も打撃を受けるんじゃないだろうか。
展望台から望む帰らざる川
首都ソウルからここまで通って来た道路は統一路。南北統一後を想定し、交通量が激増しても対処できるようにと、路側帯を大きく設けて施設されたと聞く。
かつて分断前、釜山から北朝鮮を抜け、中国まで通ずる列車があったという。その鉄道が北朝鮮に再度通ずるよう、38度線前までは復旧しつつあるという。そこから更に、中国、シベリアと統一後の夢はどんどん膨らんでいく・・
しかし、また、現実には統一後の経済格差を埋めるには、給料の40〜50%が税金に向けられる試算もあるという。

停戦後、南北の捕虜が交換される際、一度渡ったら二度と帰ることができないからと命名された「帰らざる橋」がある。現在でも1千万人を越える離散家族が居る。この橋を、彼らは渡ることは出来るのだろうか。いつしかこの橋が、南北統一の象徴となる日が来るのだろうか。

そんなことを思いながら、銭湯(4000WON)で汗を流し、ソウル最後の夜をカラオケスナックで集合時間ギリギリまで興じるのでありました。

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