韓国
韓国・・ソウル(1) Apr 2004
 2泊4日格安ツアー参戦
新幹線での帰りの道中、携帯電話の充電切れを起こしてしまった。これから3時間は優雅に安眠するつもりだったのに、携帯電話の目覚ましタイマーをセット出来ないでは怖くて眠れないじゃないか。うっかりと寝過ごしてしまい乗り越しでもしようものなら、出社時間を更に遅刻してしまう・・。遅くとも、午前中には出社しておかないとサラリーマンの身の私には、チト厳しいものがある。
昨夜はほとんど一睡もしておらず、体力的にもこれからおきる睡魔との格闘は、かなり厳しいことは必至だ。そう、わずか数時間前は未だソウルに居たんだっけ・・

公衆有料トイレ2ヶ月前のマレーシアからの帰国後、もうしばらくは旅行するまいと心に誓ったハズ・・。その固い意志をぐらつかせたのは、今回も首都圏出張だった。地方在住の身では、首都圏への移動だけでも巨額(おおげさ)の出費がかさむので、これはホント大助かりだ。

久しぶりに釣り仲間のA氏を誘い、飛びついたのは、タイミング良く届いた某社からのバーゲンメールの羽田発着チャーター便ツアー(\24800)」だ。
週末に羽田から行く!

  ソウル4日間

金曜日 羽田発24:00    
土曜日   仁川着02:30 ホテル着03:30
日曜日     ホテル発23:30
月曜日 仁川発03:30 羽田着05:30  
でも、これってかなりな強行スケジュールだ。最終日なんかは、昼の12:00にホテルをチェックアウトしなければならず、集合時間の深夜23:30まではどう過ごせばいいんだろう・・
 板門店への道
結局、ホテルに着いたのは、もう朝の4時近くになっていた。眠い目をこすり、遅い朝食を済ませた後は、韓国の人気ツアー「板門店観光」に参加だ。
板門店へのツアーは人気観光ツアーと聞いていたが、さすがに噂通りの人気があるようで、仕立ててあった45人乗りのバス2台は満席状態だった。出発前にHPから早めの予約を入れ、入金も済ませておいたたかいがあったようだ。それに、普段は大韓旅行社主催の8:40から始まるツアーだが、今日土曜日だけ行っている中央高速観光はなぜか10:30に始まり、集合場所も宿泊ホテルのすぐ近くの東和免税店前集合なので、こちらとしては願ったりだ。
自由の橋遠望意外なことに、地元韓国人がこのツアーに参加するには、事前調査でその殆どに許可が下りず、事実上外国人専用のツアーになっているそうだ。彼らに許可が下りない理由としては、申請者の親族が北朝鮮に住んでいるだけで亡命の恐れがあり、許可が下りないという。
韓国と北朝鮮は歴史上では今も交戦国同士、現在は名目上停戦中であり、いつまた交戦状態となるかも知れない。そんな中で亡命者が出たりしたら、緊張が高まるのは必至だ。そんな政治的な配慮からなのだろう。

また、韓国人と見分けのつかない日本人に対しても、過度と思われる注意が必要だ。ツアー参加者の服装(作業着、ジーンズ、迷彩色、サンダル等、規定以外の服装は参加禁止となる)はもちろん、その行動についても細心の注意が必要となる。いたずらに北朝鮮側の兵士に声を掛けるのはもちろん、手を振ったりするジェスチャーだけでも、韓国人の行った挑発行為とみなされる危険があり、それまた緊張が高まるの要因となる・・。
 スパイ摘発大作戦
自由の橋いつの間にか道路脇の川沿いには、延々と続く鉄条網が張られていた。北朝鮮の臨津江(イムジンガン)から韓国の漢江(ハンガン)へと川を伝って入境できないようする為だ。

つい最近までは、北朝鮮のスパイ捜しにやっきになっていたそうだ。当時のソウル人口約940万人、一説ではそのうちスパイ人口は2万人。実に470人に一人はスパイの計算だ。夜中に出歩いていたり、深夜まで部屋の明かりを点けていたり、はたまたタバコの値段(市場相場)を知らないだけでもスパイの疑いを掛けられたりした時代があったそうだ。おまけに小学校では、スパイの見分け方教育も・・もし、それでスパイが摘発されたら、懸賞金は家一軒に匹敵したという。

バスは途中、「統一展望台」に立ち寄った後、一路検問所へと向かっていった。検問所では、係官が乗り込みパスポートのチェックだ。ツアー申し込み時にパスポートナンバーを事前申請しており、この場ではそのナンバーと顔写真を更に照らし合わせる入念なチェックだ。もう、この頃には写真撮影は禁じられいた・・
 緊張させてくれ
首都ソウルから北にわずか60km。韓国の南北分断の悲劇の象徴38度線軍事境界線のそれぞれ南北2kmずつ(合計4km)が非武装地帯(DMZ)となっている。その中に公式にUN軍と北朝鮮軍のJSA(共同警備区域「Joint Security Area」)が、円形状の直径800mの狭い場所に設置されている。また、韓国と北朝鮮の間で、唯一行政管轄権がない特別な地域だ。
国連バス正に前線だ。なにかしらの不測の事態には真っ先に注目される場所だ。ここJSAに駐屯してる韓国軍兵士はエリートと呼ばれており、体力はもちろん語学(英語)優秀で、おまけに北朝鮮に亡命するような恐れが背景に無いかどうか、親族も徹底的に調べられるそうだ。
また、最も緊張の強いられる前線にある為、場所によっては即時臨戦体制を取れるように靴をはいたまま寝る部隊もあるという。

JSAの駐屯基地ボニパスキャンプ(1976年8月に起こったポプラ事件で亡くなったボニパス大尉の霊を追悼するために名付けられた)入ると、そこからはツアーバスから基地内のJSA専用の国連バスに乗り換えだ。護衛に兵士がバスに乗り込んで来て、我々の緊張は一気に高まる・・ハズが、米軍兵士のにやけた顔で緊張の糸が緩んでしまったのは私だけだろうか。
ブリーフィングルーム
キャンプ内にある「将校クラブ」で噂通りビュッフェスタイルのマズイ食事を終え、ブリーフィングルームへ移動だ。
ここでは、韓国の分断から始まり共同警備するに至った歴史までをスライドで紹介され、またJSAでの諸注意を受けた。
しまいには、「これから生ずる不測の事態に関しては、国連軍および韓国軍は一切責任を負わない」と書かれた誓約書にサインまでさせられた。これで晴れてゲストの一員だ。

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