韓国
韓国(2)・・ソウル Dec 2000
 定番観光コース
翌日は「ソウル市内半日観光」だ。コースは「景福宮」、「民族博物館」を回り、最後に昼食をとるという定番コースだ。 
「景福宮」には多数の国内外からの観光客であふれていた。多いのはやはり日本人だ。定番と言われる観光地では、必ずと言って良いほど日本人がいるが、ここも例外ではなかった。
民族博物館近く
だが、ここ「景福宮」は現存の姿ではなく、復旧した姿だと知る人は少ないのではないだろうか。私もこのことを後で知り、今更ながら赤面してしまった。
実際の「景福宮」の大部分ははるか前に焼失してしまっていた。それには日本という国が大きく関わっていたのだ。
古くは豊臣秀吉の時代、朝鮮出兵(文禄慶長の役1592)として18万人もの兵を進め、この地でも惨劇が繰り返され、かなりの部分が焼き尽くされたという。その後再建されたものの、朝鮮半島を舞台とした日清戦争(1894)や日本占領時代(1910〜)に又も破壊されたという。 

特に、日韓併合条約締結(1910)以降の日本占領時代には、35年もの長きに渡り日本化が進められ、日本語教育(ハングル語禁止)、日本風の姓名・・と強制的に変えられたという。韓国の民には決して忘れることのできない屈辱の時代があったのだ・・
今、この地に足を踏み入れる我々は、もう昔の出来事のように忘れようとしている。

この定番コースを周るのは、私と女子大生のガイドの2人だけ。これって見ようによっては怪しく見えるかも。当然ながら、今回の旅行も女房には「出張」と偽って出て来た。昼食を2人でとっているのを誰かに見られたらって・・あ、知ってる人はこっちに居ないんだった。

 ソウルの夜景
ソウルの夜景昼食後、ガイドと別れ「明洞」「南大門」「東大門」とショッピングスポットを続けざまに流し、次は夜景を見にソウルタワーを目指した。
ソウルタワーの展望台からネオンがきらめく夜景を眺めていると、あまりの美しさに目を奪われてしまった。 
ソウル市街地の中心に位置し、360度の大パノラマを演出する様子はまさに圧巻だ。 
タワーまでのケーブルカーを見つけかね、結局は南山公園からここまでを息を切らしながら歩いて登って来た私には、事の他美しく見えたのだった。 

ふと、どこか寂しいものを感じてしまった。 
北朝鮮との境界線からあまりにも近すぎる首都ソウル。ひとたび事が起きれば惨劇となりそうなソウル。国土の7割が山地のため、人口の4分の1がひしめく極端な一極集中都市の、あまりにももろい姿をも夜景は物語っているようだった。

 ソウルの地下鉄
ソウル市内の移動は全て地下鉄を利用することになった。値段も安く、縦横に張り巡らされた地下鉄を使えば、ソウル市内のほとんどどこへでも行き着くことができる。
疲れたらホームの自販機でコーヒーを飲み、休憩もできる。時々やってくる物売りも慣れてくれば、次は何かなと期待してしまう。

ソウルの地下道は広く多い。地下鉄はもちろんのこと、道路を渡るにも地下道がほとんどだ。それも結構深く広い・・まるで防空壕のように。 
話に聞いたことがある。北朝鮮からの進撃があった場合は、ソウル市民が地下道に避難するためだそうだ。ここにもまた、韓国の悲しい現実があった。

 もう帰国
3日目、もう帰国の日だ。それもフライトが早いので、朝早くから模範タクシーに乗り込み一路空港へ。 
ごったがえす通勤ラッシュにもまれ、空港に着いた時にはもうタクシーメーターが34000WONを指していた。
これにはさすがに驚いてしまった。今回の韓国では、土産代(15000WON)含めても50000WONしか使っていなかった。日本に比べればはるかに物価の安い韓国でも、このメーターを見れば誰しも吹っ飛んでしまうことだろう。
アシアナ機手狭になった金浦国際空港では、人がひしめきあい、飛行機までもが列をなしていた。 
「当機は現在離陸順番待ちをしています。離陸の順番は14機目です・・」
やっと離陸の体勢に入ったころ、窓の外を見るとメイン滑走路脇では更に14機が離陸の順番待ちをしていた。
来年には国際空港は仁川に移るのそうだが、もう金浦で手狭になったのは確かなようだ。
次に韓国を訪れる際には、はたして金浦かそれとも仁川か・・

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