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南アフリカ共和国(1) | Jun 1998 | ||||||||||||||
はじめに |
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今回の旅行についてはホームページ公開後でもあり、更には記憶がまだ鮮明な為、他ページのような
“出来事”表現ではなく、“旅行日記”に仕上げました。
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1日目 |
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移動だけでも、今日が一日目。今日は仕事へ行き、残業までしてしまった。誰も今日から旅行へ行くとは思いもしないだろう。今回の旅行はマレーシアの友人(先輩)の所へ行くと言ったので、女房もしぶしぶながらもなんとか認めてくれた。まさかマレーシアがトランジットとは夢にも思わないだろう。
前回に引き続き、今回も交通費をケチり都内までの移動は夜行バスを利用。地方在住なので、交通費がバカにならないので仕方ない。
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2日目 |
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イビキおじさんのおかげで睡眠不足のまま、成田空港へ。久しぶりに訪れた空港第2ビルは、いつのまにか拡張工事が終わったらしく、モノレールまで完備していた。 機内は日本人ツアー観光客でいっぱい。隣に座ったのは、女の子2人連れのため思わず緊張。後ろの席はちょっとガラの悪そうな、サングラスをかけた丸刈り頭のお兄さんグループで更に緊張。 マレーシアのK・Lに着いたのは、夜になってから。途中ペナンを経由した為、かなり時間が経ってしまった。次のヨハネスブルグへのフライトは深夜1時過ぎなので、暇がいっぱい。¥1000だけ両替し、空港内のレストランでマレーシア料理を堪能。 果てしなく暇なので空港内をうろついていると、同じくトランジットをしているらしき日本人を発見。彼としばしの歓談を試みることにした。こんな所で一人でいる日本人はパターンがまっぷたつ。話しかけると楽しく談笑できるのが一つ、もう一つはあくまでも一人旅にこだわり、話しかけてもとりつく島がないかどちらかだ。私は前者だが彼はどうだろう。
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3日目 |
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フライト時間が遅れ、飛行機が飛び立ったのは深夜2時近くになってから。機内アナウンスでは、現地到着まで10時間のフライトとのこと。それを聞いてどっと疲れが出てしまった。ゆっくり眠れそうな席に移動し、つかの間の安眠を楽しむことにした。
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初めての場所(国)で初めての車の運転は緊張の連続だ。慣れないのでゆっくり走っていると、どんどん追い抜かれる。交通量も意外と多いので、後ろからあおられてしまいますます緊張が増してくる。制限スピードは120kなのに、実際は140k以上は出している。何度も後続車に道を譲ったが、追い越した車がハザードで挨拶するのは、万国共通なのだろうか。
![]() 途中休息タイム。9時過ぎから走りずめだったが2時間もするとやっと周りの景色を眺める余裕が出てきた。広大な荒野が地平線の彼方まで続き、乾いた大地がアフリカ大陸にやって来たことを彷彿させる。所々に姿を現すブッシュ、開墾中の土地、走る程めまぐるしく景色が移り変わって行くアフリカの大地。 南アフルカの道路はとてもよく整備されていて、運転するのに支障がない。まっすぐに延びた道にデコボコは皆無で、道路標識もわかりやすく、初めて訪れる者に対しとても親切だ。 車の波に乗ってしまい、どんどん車を走らせいつしかピターズブルグ(ヨハネスブルグから275k)まで来てしまった。更にガソリンを満タン(1リットル=約¥50)にしてしまい、更にルイ・トリハルトまで。ここで宿を探そうとしたのだが、宿選びをしているうちに、突然宿どころか街並みが途絶えてしまった。もう次の街は国境近くのメッシーナしか無くなった。
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いつしかメッシーナまで通り越してしまい、ついに国境ゲートのあるベイトブリッジまで来てしまった。ここまで来たら、もうジンバブエまで行くしかあるまい。
ゲート通過は、レンタカーなのでそれなりの手続きが必要なはず。わからずにウロウロしていると見かねて手伝ってくれる人がいた。彼の名はベリー。とても親切に、次々と手続きをしてくれた。イミグレ、車の登録証明の確認、通行許可証などわずらわしい手続き一切合切を流れるように進めてくれた。初日から南ア人の親切に深く感銘。 |
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![]() 全てを済ませ「じゃ、ありがとう」立ち去ろうとする私に「ちょっと待て、US$100(当時約¥14000)払え」「...?」「入国に便宜をはかった手数料だ」「そんなの聞いてない」「払え!」。3人がかりで世話をした分、今度も3人がかりで責め立てる。 いくらなんでもUS$100は高すぎる。次は値段を下げてきたR100(約¥3000)。どこからそんな金額が出てくるんだろう。まあ、確かに自分1人だけでは入国出来なかったかも知れないし、世話になったことは確かだ(日本人的発想)。奴等は、金を貰うまで私を開放するつもりは無いらしい。長旅の疲れがピークに達して来た私は、ついに金を出すことにした。Z$100(約¥1000)を渡すと、3人で相談し始めた。どうやら開放する気らしい。 今がチャンス、そろりそろりと車を出す小心者の私。すると1人だけ納得出来ないのか、追いすがって来た。もう振り切るしかない。 ジンバブエへ入国してからも、どうも釈然としない。嫌な国に来たものだ、明日もう帰ろうか。それに、いくら疲れているからといっても金を出すべきでは無かったはずだ...。 外はもう真っ暗。いくら走っても街どころか明かりが無い...。
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