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ペルー(1)・・リマ&クスコ |
Nov 2008
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ハロウィンの街クスコ! |
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![]() 大勢の仮装をした子供たちが夜のクスコ市街で大騒ぎをしている。うっかり、バッグに手を掛けた私を取り囲む子供たち。子供が苦手な私でも、その純真な眼差しには正直参ってしまった。残念ながら、ハロウィンの習慣どころか今日(2008年10月31日)がまさにその日とすら知らなかった私は、アメ玉の一個すら持っていなかった・・。 「一生に一度は訪れてみたい場所」。とある雑誌にそんな文章がのっていた。その時、真っ先に私の頭をよぎったのは、"マチュピチュ遺跡"だった。「空中城塞都市」「失われたインカ文明」などと異名を持つこの遺跡にどうしても行ってみたくなってしまった。そう、どうしても・・。 |
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無駄な米国の入国審査 |
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マチュピチュまでは遠く、本来ならじっくり一週間以上の日程が必要なのだが、リーマンの私にはそれほど休暇が取れる訳もなく、休日を挟んだ6日間の日程になってしまった。そんな短期強行スケジュールでは、移動の待ち時間すら無駄になってしまう。今回はツアー参加のスタイルを取ることにした。 個人参加なので、追加料金がかかってしまうが、これも仕方がないことだ。 この頃の燃料チャージは恐ろしく高く、日本から南米まではデルタ航空で\40,000、コンチネンタル航空ではなんと\63,000と、格安チケットならアジア近隣諸国なら充分に行ける金額だ。 ツアー内容
1日目 出発日当日、仕事が長引いてしまい、最寄り駅に着いたのはもうギリギリの時間だった。改札を走り抜け、ホームに滑り込んで来た電車にそのまま乗り込んだのだが、それが成田空港発のデルタ便に乗るための最終電車だった。 ![]() 深夜、日付の変わる頃にようやくリマのホテルに到着した。途中の車中では、真っ先に防犯のレクチャーを受け、ここリマの治安の悪さを思い知らされてしまった。 ガイドいわく@メインストリート以外の路地には決して入らないことAできるだけ金を持ち歩かないことB車中では荷物が見えないように足の間か下におくこと。 成田からアトランタまで空路で約12時間、そこからリマまでは更に約7時間。なのに、今の時間はまだ深夜1時だ。ここペルーは日本との時差がマイナス14時間あり、日本ではもう午後の3時・・もう寝ようっと。 |
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空気が薄いのは気のせいか |
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![]() 早朝、ホテルにドライバーが迎えに来てくれた。今日は、これから国内線でリマから高地クスコに向かう予定だ。ドライバーは片言の日本語を話すのだが、なぜか前歯が欠けており、どうにも言っていることがハッキリと聞き取れない。 機内はシーズンオフにもかかわらず満席で、そのほとんどが観光客だ。恐らくはその大半がマチュピチュを目指すことだろう。あまりにも有名な観光地の人気の高さが伺える。 約1時間でクスコに到着。機内から外に出た瞬間、"空気が薄い"と感じてしまった。クスコは標高3360m、人によっては高山病に罹ってしまい、息苦しさや頭痛の症状が出ることもあるそうだ。 ![]() ちょっと一休みするつもりが、寝てしまった。間もなく、午後の市内観光に行く時間だ。ゆっくりと休息したのはよいが、昼食を摂らずに寝てしまったのは、チトまずかった。高地では暴飲暴食はNGだが、腹を空かして動き回るのもNGだろう。 ![]() それにしても、今は昼1時。日本では翌日の深夜3時だ。どうにもこの時差ってのがよく理解出来ない。時差があり過ぎると、日本時間が昼なのか夜なのか、もう訳が判らなくなってしまう。 早朝に携帯電話のメールで目が覚めたのだが、日本で夕方に発信したメールが、さかのぼってその日の朝に届いてしまうなんて・・。 |
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