チュニジア
チュニジア(1)
Dec 1999 
 サハラの誘い(いざない)      そして出発
ある日突然、何の脈略もなくサハラを見たい!と思ってしまいました。なぜそう思ったのか私にもわかりません。私を知る人は「それは、病気」と答えます(笑)。
思い立ったら居ても立ってもいらず、早速チケットの予約です。サハラに一番近くで、簡単にしかも安く行ける方法はというと、私の知っている情報ではかの有名なアエロフロートで行く、ロシア経由チュニジアしか思い浮かばずにそのままチケットを予約してしまいました。
砂漠とふんころがし移動日は最悪のコンディションとなってしまった。またも女房には首都圏への出張などと嘘をつき、海外にいこうとしたバチがあたったのだろうか・・。
運悪く、チケットを予約した頃(出発の2週間前)に風邪をひいてしまい、移動日当日には更に体調不良となってしまった。おまけにその日は忘年会があり、その宴会に参加したいがために、幹事に無理矢理日程を私の都合の良い当日に変更させた経緯があり、どうしても出席しなけれればならなかった。
午後になっても依然体調はすぐれず、風邪だけは直ると定評のある病院でいやいやながらも注射を打ってもらった。その時の医者のいかにも自信たっぷりな言い方がどうも気になった「これから熱が出ますよ」だって・・。 
都内へ向かう夜行バスの出発時間ギリギリまで?次会を付き合い(付き合わせ)、いざ乗車の時間。 
バスが走り出してまもなく、突然体調が悪くなってきた。風邪が原因か宴会での飲酒かはたまたバスに酔ってしまったのか、ゲロが出そうになってきた。まさかバスの中で吐くわけにもいくまい、そんなことをしたらバスの中がパニックになってしまうのは目に見えている。 
さりげなくトイレの近くに席を移り、次の発作に備える姿がそこにあった。皆が寝入っているのに一人シートも倒さずに、直立に近い体制のシートでまんじりともしない朝を迎えることになってしまいそうだ。眠いことは眠いのだが、シートを倒すと一気に発作が襲ってきそうなので横にもはなれないし・・。 
結局、嘔吐との戦いで、車中では一睡もできないまま朝を迎えてしまった。
 ぼったくりタクシー        運ちゃんのキス
チュニジアの首都チュニス近くにあるチュニス・カルタゴ空港に着いたのは、自宅を出てからちょうど39時間後。日本との時差が8時間あるチュニスでは、まさに日付が移り変わろうとしていたところだった。 
閑散とした空港で私を出迎えてくれたのは、親切なタクシードライバーが一人だけ。
このタクシードライバー、誰もいない空港両替所でのんびりと職員を待っていると、わざわざ職員を呼びに行ってくれた。なんて親切なんだろう。でも、どうして人が両替している間ずっと財布を覗いているんだろう。こんなタクシードライバーのタイプは大きく2通りあるようだ。旅行者に親切なタイプと、食い物(ぼる)にするタイプの大きく2通りだ。この運ちゃんはどっちなんだろう?! 
チュニスの建物
タクシーに乗り込んで、ふとメーターに目をやると何故か初乗り運賃が5D!になっている。いくら深夜料金でもこれは高いだろう。ここでサラリーマン氏(サラリーマン・バックパッカーの海外旅行)のチュニジア雲助タクシーを思いだした。やっぱり怪しい、もしかしたらこれは氏が遭遇したのと同じ雲助タクシーでは?!そう思い、別のタクシーに乗り替えようした時、するりと空港職員(空港警備)らしき人が乗り込んできた。おっ、彼と一緒だったらそんなにぼられないかもしれないぞ、まあ、便乗ただ乗りだろうけれど、地元の人が一緒にいるだけでちょっと安心だ。結局、少々ぼられる覚悟を決め、空港を後した。もちらん私の目はメーターに釘付け。 

今夜のホテルを予約していなかった私は、この運ちゃんにまかせて安宿を紹介してもらうことにした。風邪と長旅で疲れていて、自分で捜すのが億くうになっていたのもあるが、これが同じ雲助運ちゃんならば、じっくりと手口を見たいとも思ったのだ。それに、メーターはそれほど不自然に回っている様子もなかった。 
しばらく走ると、タクシーは怪しげな路地裏に止まり「ほら、ここいいだろ」と自信満々の運ちゃん。フロントで値段を聞くと「37D!」。運ちゃんには20D以下と言っておいたのに、全くいい加減なものだ。挙げ句は「チュニスで20Dのホテルなんてどこにもないよ」などと言い出す始末だ。こっちは事前にホテルのおおよその相場の情報を仕入れていただけに「じゃ、次行こう!」 と運ちゃんを促し、ホテル巡りを始めることにした。ついでに夜の街を流すのも気持ちのいいものだ。
結局決めたのは予定通り20Dのホテル。名前はSidi Belhassen Hotel、ちょっと古いが趣があり一晩泊まるには手頃なとこだろう。 
運ちゃんに代金を払おうとするとこんなことを抜かしてきた「コーヒー飲みたいんだ(チップくれ)」タクシー代を15Dにぼっといてなかなか面白いことを言う奴だ。更にジェスチャーを交え「どうしても、コーヒーが飲みたいんだよぉ」さすがにこれには笑ってしまった。その様子が面白くていくばくかのチップを上乗せして払うと、なにを思ったのか運ちゃん私の両ほほにキスをしてきやがった。・・チップなんて渡すんじゃなかった。

 究極のリコンファーム  SUは何処に(いずこに)
チュニジアで迎えた初めての朝は、のんびりと8時に起床。今日中にリコンファームをしなければならないし、どうせ移動してもチュニス以外でリコンファームできる保証はないのだから、ここで済ましておいたほうが無難だろう。
フロントにリコンファームの電話を頼もうとにこやかに「お願いあるんだけど・・ここに電話を」手数料を取られようがチップを渡そうがその方が確実で安全だ。すると予想外な答えが「あっ、ごめんなさいね。今、電話壊れているの」「ふぇ?!」「ほら」渡された受話器からは確かに何も聞こえてこなかった。 
ちょっとやばい、これでは自力で電話しなければならない。実は私、英語が苦手で、今まで一度も自力で電話でのリコンファームをしたことがなかったのだ。まあ、時間はたっぷりあるんだし、なんとかなるか・・ 
なにげなくフロントの時計を見ると9:00ちょうど。ビジネスアワーの8:00にあわせて起きたつもりなのに、私の時計は時差修正を不覚にも一時間も間違っていたようだ。やばい! 

あわててホテルを出て公衆電話を探すと、タクシーフォンがすぐに見つかった。タクシーフォンは街中いたるところにあり、安くて小銭にも両替してくれ更には国際電話もできるので大助かりだ。 
早速、チケットを購入した旅行代理店から教えらてれたアエロフロートのチュニスオフィスに電話すると・・誰も出ない。番号間違えたかな?!もう一度電話するとやっぱり出ない。もうとっくに9:00を回っているのに出ないってことは今日は休みかな?!それとも電話番号を間違えたかな。
もう一つの電話番号にかけてみると今度はすぐに繋がった。なんだこっちの番号がよかったんだ。「あのー、リコンファームしたいんですけど。名前は・・」すると早速流暢な英語が返ってきた「電話番号間違っているみたいですよ」「ふぇ?!」教えられた電話番号が違うじゃないか。 
もう時間がない。いまからオフィスを探しても、見つける自信はないし、仮に見つけたとしても電話にも出ないくらいだから誰もいないだろう。とりあえず空港に行けばなんとかなるだろう。

きっと電話番号が変わってしまったんだろう。すがる思いで空港までタクシーで乗り付け、早速トラベルカウンタでアエロフロートの電話番号を聞くと・・確かに正しい、電話番号が合っている!これって、またもサラリーマン氏と同じパターンじゃないか。すると空港カウンタにも誰もいないのか?!・・当然いなかった。それもしばらくの間、人の寄りついた形跡すらない。 
なんだかんだでリコンファームのタイムリミットを切ってしまった。もしかして、もう乗れないんだろうか。それはまずい、新たにチケットを購入するにはカードを使わなければならない。すると、今回の旅行が女房にバレてしまう。これは恐い、とても恐い。 
もう、こうなったらどこか別のオフィスに電話するしかない。そこで、トラベルカウンタで近場のパリオフィスを聞くと「わかんない」「じゃ、どこで聞けばいい?」「さあ」全く頼りにならない返事だ。 
仕方ないので、東京の旅行代理店まで電話し、パリオフィスの番号を聞き出しパリまで電話することにした。が、今度はフランスの国際番号がわからない。またもカウンタに聞くと「0033」と今度は親切に教えてくれた。が、繋がらない。なんどかけても繋がらない・・。もう一度東京に電話し、番号が正しいか聞こうとすると、今度電話の向こうから流れるのは営業時間終了を告げるアナウンス・・時差だ、東京はもう夜なんだ。
もうトラベルカウンタは信用できない。次に空港インフォーメーションカウンタで聞くと「0033ー1」ん!さっきと違うじゃないか。これだから繋がらないんじゃないか。 

パリに電話するとすぐに出てくれた。「ボンジュール」予期した通りフランス語だ。フランス語どころか英語すら話せない私は心臓バクバクものだ「あのー、リコンファームしたいんですけど・・名前は、**です」「はい、どうぞ」フランス語から突然日本語!に切り替わった。そこでチケットの内容を伝えるとと「お待ちください・・・あれっ?・・」ん、もしかしてタイムリミットを過ぎたので、もうキャンセルされてしまったのだろうか?! 
間もなく確認が取れ、リコンファームを無事に済ませると安堵から思わず愚痴を言ってしまった「チュニスオフィスに電話しても誰も出なかったんですよ」「そうですか。まあ、世界で一番なまけものはロシア人とアラブ人って言われていますから、アハハ」なるほどその2者がタッグを組んでいるチュニジアはいと恐ろしい・・。

 謎の文字とつたない英語       ここは何処
チュニス鉄道駅チュニジアの公用語はアラビア語だが、フランス語も一般には通じる。英語はチュニス以外ではほとんど通じないという。このことを実感するのにそれほど時間はかからなかった。 
方向音痴ではいささかの自信がある私は、チュニス市街で移動のための駅を捜していたのだが、案の定早速道に迷ってしまった。こんな時は地図を片手に街をさまようのだが、全く見つからない。道行く人に尋ねても、誰も英語がわからない様子だ。もしかして、私が話している言葉が英語だと気が付かないのだろうか・・ 
やっとのことで英語を話せる人をつかまえることが出来て駅を尋ねると「ここが駅」・・お恥ずかしい、目的地の真ん前で場所を聞いていたのか・・。 
車のナンバープレートアラビア文字も当然氾濫している。自慢じゃないが私はアラビア語が全くわかない、ましてやアラビア文字ときたら全く見当がつかない状態だ。街や幹線道路では、それなりに英語表示になっているのだが、ちょっと郊外に出た途端、アラビア語のみに出くわすことが多い。驚いたのは電光掲示板、初めてこれを見た時は、てっきり板が壊れているものと思ってしまった程だ。
 ラマダーン真っ最中        お預けを食らう
運悪く、チュニジアに着いた翌日からあのラマダーンが始まってしまった。実は、チケットを予約した時にはこのラマダーンのことは全く頭になかったのだが、移動日直前にとあるホームページで「ラマダーンが始まります」と書かれているのを見て初めてこのことを知った次第だ。まさか、ラマダーン真っ最中にアラブ国を旅行するなどどは思いもよらなかった。 
都市部以外は当然として、チュニス市内でも食品を扱う店は客はいなく、いつも賑わいを見せるはずの有名なカフェ・ド・パリも閑散としていた。

サハラの入り口ドゥーズからチュニスへ向かう際、ガベス経由でチュニスへ向かうことにした。 
そのガベスでは思いもよらぬことが待ち受けていた。ルアージュ(乗合タクシー)のなかなか乗客が集まらないのだ。定員8人のこの車は定員に満たないうちは出発しないという。ただでさえ、途中のケビリで同じく定員割れで2時間も足止めを食らっていたのでもううんざりだ。 
人が集まらなくても、出発の時間さえわかればその辺をぷらぷらすることが出来るのだが、いつ定員になって出発するやも知れない。置いてけぼりを食らったら、いつチュニスへ行けるかどうかわからない。もう、車内でじっとするしか他に手はない。他の乗客はというとすっかりあきらめ、昼寝を決め込んでしまった。 

カフェ・ド・フランス時間だけが過ぎ、夕暮れが迫ってきた。定員まであと1人というところで、誰ということなく食事と摂ることになった。「お前はどうする?」もちろん断る理由などない。 
近くの食堂では、既に夕食の準備が進められていた。注文するとすぐ、テーブルには次々と料理が運ばれてきた。私が頼んだのは良く分からないが定食らしいパンとスープ、それに目玉焼きを失敗したような料理だ。
テーブルについた面々に食事が運ばれてもなぜか誰も口にしない。お預けを食らった犬のように、じっと料理を見つめている。なんとなく私も一緒に待っていると「んっ!」「うん、うん!!」口々になにかを確認しあっている。そう、彼らは夕暮れのアザーンを待っていたのだ。 
アザーンの調べを聞きながら何かが弾けたように食べ出す面々。それはどこか鬼気せまるものがある。それもそうだろう。日中には飲食はおろかタバコさえ吸えないのだから致し方あるまい。この世の終わりではと思うほど一気に食べまくる。

結局ルァージュが出発したのは待つこと4時間後、あたりはすっかり真っ暗になってしまっていた。ガベス経由でチュニスまで行けば、もしかしたら地中海を眺められるかも、なんてことは不可能になっていた。 
車内ではさっきまでほとんどしゃべることもなく寝そべっていた連中が大騒ぎを始めた。ステレオから流れるアラビアンミュージックにあわせて歌い、踊る。開放感が一気に社内に広がって行く。
これで1ヶ月後のラマダーン明けはどうなるんだろう。とんでもないお祭り騒ぎになるのは必至だ。ラマダーン中には出生率がぐんと高くなるのもなるほどうなずける。   


Malaysia(4) ← BACK | UP | NEXT Tunisia(2)


Copyright 1998 mizyuki All rights reserved.