切り裂かれた「釣りキチ三平の里」
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(←)1998年9月、私は尊敬するマンガ家・矢口高雄さんの故郷・増田町狙半内地区を訪れた。矢口さんに手紙を書くため、矢口さんの生まれ育った自然をこの目で見ておきたかった。名作「釣りキチ三平」を創造せしめた自然を知りたかった。だが、私が目にしたものは、無残に切り裂かれた自然だった。 |
(→)私が現場を訪れたのは日曜日だったが、作業は休日返上で行われていた。この工事に関する記述は町の広報誌には見当たらなかった。工事の重機や車輛は、東成瀬村側から現場入りしていた。工事の存在は、町民に対して事実上”秘密”なのだった。 | ![]() |
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(←)狙半内川源流にして増田町最高峰・大川目山は、ワラビの宝庫であった。「巳年のケガチ」といわれる天保の飢饉(1833年)には、この山のワラビ根を掘るために、よその村からも人が押し寄せたという。ワラビ根掘り小屋が40軒余りも建ち、多くの人の飢えを救ったこの山の九合目が抉り取られてしまった。 |
(→)狙半内地区最奥部は、大半が民有林である。かなりの部分がスギ林に塗り替えられてしまったが、ミズナラ・コナラ・ホオなどの天然林もまだ残されていた。工事はその天然林に分け入っている。 | ![]() |
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(←)伐木の細木や枝は、道路下に当然のように投棄されていた。土砂やコンクリート塊ものぞいている。 |
(→)東成瀬から峰を越えて延びる道路は、標高600メートル付近をほぼ水平に削ぎ落とし、再び峰をぶち抜いて皆瀬村に達していた。 | ![]() |
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(←)平鹿農林事務所によれば、この林道の目的は「地域交流」「官公造林の育成」であり、「道路のめぐりを良くするため」に皆瀬村とも結ぶのだという。「増田町の要望」「皆瀬村からの要望」とも。 |
(→)「環境アセスメントは実施していない。今後も予定はない」と平鹿農林事務所。ここが「釣りキチ三平の里」であり、増田町の自然のコア(核心)地帯であることに対する配慮は、カケラも見られないのだった。 | ![]() |