−時折日記−
本当に「時折」更新です…(^_^);;

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2002年1月15日
 就職説明会。
 市内で行われた、就職説明会に参加してきました。
 正直な話、行く前は憂鬱だったんですが、出展(?)している企業の話を聞いてみると何だかやる気になてくるので不思議です(^^;;
 行ってみたことによって、自分の就職観などを再確認できたのはひとつの成果でしたね。
 …まぁ、それより早く就職先を探せ、という話もありますが(汗
 時代とは関係ナシに、自分にあった職業を、会社を、じっくりと探していこうかなと考えていました。焦って飛びついて数ヶ月で辞める、なんて嫌ですから。
 でも、一ヶ所魅力的な会社を見つけたので、そこを受けてみようかと思案中です。

2002年1月10日
 個人的音楽考。
 最近、「音楽って何だろう?」ということをよく考えます。
 一部の人(ボクの或る過去を知る人)には「何を今更」と言われそうですが、ボクにとっては大問題なのです。
 ちなみに、答えは出ていません。「何故自分が曲を作るのか」や「何故歌うのか」にはあらかた答えが出るんですが、 「音楽とは何か?」という問いに対し、答えは出ていません。
 答えがあるのか、出すべきものなのかも分かりません。
 「音楽」って、分からないことだらけです(爆
 もしかしたら、だからこそ、作曲したり歌ったりするのかも知れませんね。
 ……まぁ、いつもそんなことを考えている訳じゃありませんが(笑汗

2002年1月1日
 謹賀新年。
 明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。
 MIDI方面では、今年、LAST三部作が大詰めを迎えます。(…というか、本当は去年中の予定だったんですけどね<汗>) その後のシリーズものも、何となく構想中です。耳コピ&アレンジは、今年こそKEY作品のメドレーをやってみたいと考えています。 考えるだけに終わらないようにしたいです(また汗)。
 この頃、「前もって描いていたイメージ」を曲に定着させられるようになってきたかな、ようやくそうなってきたかなと感じています。もちろん、データ的にも、そして曲的にも甘いところはまだたくさんあるので、 より「いい作品」が出来るよう、これからも頑張っていこうと思います。
 ビックリマン方面では、今年も3月にスペシャルセレクション2が東北に上陸の予定ですし、 まだまだ目が離せない状態が続きます。 ただ、2000の流通量が少なくなりなかなか大変ではありますが(^^;;
 2月には岩手発の屋内交換会も開催される予定で、いまだにヒートアップは続いています。良き聖魔守(ファン)であれるよう、ビックリ道に邁進します(笑)。
 それでは、皆様にも今年一年が良い年でありますように。
 (メールからのコピペなのは内緒です〈爆〉)

2001年12月18日
 来訪者延べ三万人。
 本日、めでたくこのページも30000HITを達成いたしました。
 訪れてくれる方々に感謝、感謝です。
 相変わらず更新がとろいページではありますが、OFFではいろいろ動いている(と思われる)ので、気長〜にお付き合いいただけるとありがたいッス(^^;;
 現在、本来9月末公開予定だったLAST EVOLUTIONを急ピッチで制作中です。なかなか、ボク的に萌える(ヲイ)曲に仕上がりそうです。乞うご期待!

2001年12月8日
 夢の跡。
 今日は高校の音楽部(合唱部)のOB会に出席してきました。
 この冬、ボクが卒業した高校の校舎が解体・新築されることになり、急遽「あの音楽室でもう一度歌おう」と集まることになったのでした。
 …と、言っても僕らの世代はあまり集まらず、主に集まったのは15歳くらい年上の方たちでした。
 そんな方々と、それから代々の顧問の先生を交え、想い出などを語り、高校の時に歌った合唱曲を全員で歌い、終わりには校歌を全員で合唱。
 校歌は高校生の時に何度も歌ったものですが、今再び歌うとその歌詞の意味にハッとすることもしばしばで、教室の懐かしさと壊される寂しさと相まってちょっち感極まりそうになりました(^^;;
 (そういうワケで、今校歌を歌うのを面倒臭がっている諸君、校歌はきちんと覚えておいた方がいいぞ【笑】)
 話は変わって……、高校時代、毎日合唱の練習をしたのも、昼を食べたのも、コードを覚えたのも、作曲をやってみようと思い立ったのも、全て音楽室でした。
 あの教室はボクの音楽の大きな根っこのひとつなので、取り壊されるのはとても寂しいモノがあります。
 でも、新しい校舎の、新しい教室でも、ボクら音楽部の後輩達が新しい音楽を紡ぎだしていってくれるだろうことを思うと、 ボクももう少し頑張らなきゃな、と思うのでした。
 人でないもの、特に「空間(ばしょ)」に『ありがとう』と言うのは変に感じる人もいるかも知れませんが、ボクはあの教室に「ありがとう」と言わずにはいられません。
 盛岡三高・音楽室。本当に、ありがとう。そして、さようなら。

2001年12月3日
 冬将軍到来。
 朝起きてカーテンを開いたら、辺り一面銀世界になっていました。
 積雪の量はたいしたことなかったんですが、一日中気温が上がらず、日中でも融け残った雪があちこちで見られました。
 本格的な冬が、今年もやってきてしまいました……。
 「やってきてしまいました」というのも、ボクは四季の中で冬が一番苦手なのです。北国生まれのクセに(^^;;
 寒さが、文字通り骨身に凍みるのです(若いクセして)。
 でも、その代わりきれいな雪景色が見られるからいいかぁ……。

2001年12月2日
 地震雷火事親父。
 夜10時頃に地震がありまして、盛岡の震度は4だったそうな。
 いやはやビックリしましたが、子供の頃から地震には慣れているので、その場では冷静に対処したつもりでした。
 んが。
 あとになって、当時取った行動を振り返ってみると……、
 プレステの電源を消す。
 テレビの電源を消す。
 電気ストーブを消す。
 高いところにある不安定なものを下ろす。
 ………なじぇプレステが一番はじめ? をいをいオレよ、冷静じゃないじゃないか。(TT_TT)
 案外「自分は大丈夫」と思っている人が一番危ない、といういい例でした(凹

2001年12月1日
 2周年だよ、全員集合!(謎)
 日記を8ヶ月も放っておいて、何ですが…(だらしないのモロバレだよね、これじゃ)
 兎にも角にも、無事この『Emerald Stream』も2周年を迎えることが出来ました。ページ自体に感染するウイルスや荒らしなどに遭うこともなく今までやって来られたのは、 とても幸せなことだと思っています。
 このページを開設したのはボクが大学4年のことでしたが、いつの間にやらボクはフリーターになり、ページもとりあえず改築され、作る曲にも変化が見られたりで、たった2年と言えど時間の流れを感じずにはいられません。
 身の回りを見ても、このページに関連するところではJASRACがMIDIにも著作権使用料の徴収を決定したり(やべ、まだ認可取ってないや《ヲイって!!》)、 世界を見ればあの傷ましいテロが起こったりで(あれは、よっぽどこのページからメッセージを飛ばそうかと考えたりしました)。
 そんな中、ふと自分を振り返ると、「アンタ、これからどうするのよ?」というマインドB(自分の中の自分)からの問いかけが。
 普通ならば、大学在学中に就職活動をして、そのまま就職…ないし、もう1年……、なんでしょうけど、紆余曲折を経てやっと卒業にこぎ着けたボクは在学中には就職活動をしなかったんですね。しなかったというか、やれなかったというか。
 甘ったれていると言われれば、それまでですが。
 大学入学までは取り敢えずにも順調に生きてきて、最大の困難を大学時代に経験し、…多分、まだボクはその困難を克服できずにいるのかも知れません。
 何だか、独り言みたいになってきました(^^;;
 このページを運営していくことを通して、「ボクのこれから」を見つけられればな、と思ったりしています。
 …いつもそんなことを考えている訳じゃないんですけどね(ヲイ)

2001年4月1日
 10000hit ありがとうございます!!
 開設から1年と4ヶ月、ついに我が『Emerald Stream』も10000hitを突破いたしました。これも、ひとえにページを見に来て下さる皆様のおかげと感謝しています。
 遅々として改築が進まない我がページですが、少しずつでも明日に向けて進歩していけるよう、これからも頑張っていきたいと思います。

2001年3月31日
 生はやっぱりいい。
 うちの研究室の教授の奥さんがパイプオルガンの演奏会に出演するというので、研究室の後輩と一緒に聴きに行きました。タダだったし(爆)
 盛岡市民文化ホール『マリオス』の「パイプオルガン演奏講座」の第1期生の演奏会で、バッハをはじめとする作曲家のオルガン曲が演奏されたんですが、これがまたなかなかいい感じでした。
 パイプオルガンの音なんて、MIDI以外ではほとんど聴いたことがなかったボクですが、その多彩な音色、表現力にちょっとした感動を覚えましたよ。
 曲目もボク好みで。フーガを聴きながらDNAの螺旋構造を連想してしまいました(ナゼ?)
 やっぱり生の演奏はいい〜〜。聴いていると引きずり込まれてってしまうわ(^^;;
 教授の奥さんの演奏も、また素晴らしくて。ファンになっちゃいそう(爆)

2001年3月30日
 久しぶりの日記です(爆) いや、超久しぶりか(核爆)
 卒業があと半年延びることが決定したので、あと半年間、後輩の世話をする事になり、早速28日から30日にかけて後輩の野外調査の手伝いをしてきました。しかしまた、それが死にそうなくらい大変でしたよ。
 前日までは春らしい暖かい日が続いていたのに、当日になったら急に寒波が。二日目の午後から雪が降り出し、その中海岸の岩場や山あいの谷間を調査して歩くハメに。
 調査した地域(宮城県本吉郡志津川町・同桃生郡北上町)は竹林が割と多く、行きは普通に通れた道が帰りには竹が雪の重みで道路を塞いでいる…、なんてハプニングもありましたよ。
 去年の8月に長いこと現地にとどまって調査したので(今回付き合った後輩はボクの研究を引き継ぐ形になるので、調査地域がほぼ重なるのです)、ちょっとやそっとの事じゃもう驚かなくなったつもりだったんだけど、さすがに今回は参っちまったよ。
 4月も6日から9日にかけて、他の二人の後輩の調査に付き合うことになっていたり。頼むからもう降らないでくれよ…(切実)

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