ぼくのムラの歴史
 
村の移り変わりの詳しい資料
ぼくのムラがいつ頃できて、いつごろまで続いたのか現代の学者さんたちがいっしょうけんめい調べているよ。その研究をまとめると下の年表のようになるね。第3段階と呼ばれる頃にぼくはくらしていたんだね。
宮古市教育委員会による
時代の様子 崎山貝塚 海水面 気候 植物相 動物相
ムラの様子 貝塚の様子
旧石器時代 ・寒い時代(氷河期)が続く。
・日本に人々が住みつく。
縄文時代 草創期 1万2000年前
・氷河期が終わり縄文時代が始まる。
・土器と弓矢が発明される。
-20〜40m 次第に多雪化。
北日本は寒冷気候。
ブナ林の拡大 ・現生種の時代
早期 9000年前
・各地に貝塚が造られ始める。
・このころから人が住み始める。 (10m/1,000年の上昇) 海洋性気候の確立。
今の環境に近くなる。
ブナ林がほぼ現在に近い分布域に達する。
 ブナ属の増加(イヌブナ属)
 エノキ属・ムクノキ属・モミ属・ツガ属
○西日本の低地からブナ林が消滅。東日本以北がブナ属分布の中心地に。
・ブラキストン線の確立。
 本州と北海道で亜種の分化。
前期 6000年前
・気候が温暖化し、海面上昇のピークを迎える。
・十和田火山が噴火し、火山灰が降る。
・各地に貝塚が多く造られる。
(陸前高田市牧田貝塚)
(宮古市千鶏遺跡)
★第1段階のムラが造られる。
(ムラの様子ははっきりしない)
・魚や獣の骨を中心とした貝塚が造られる。
・斜面部に大規模な土器捨て場が造られる。
・火山灰が降下する(5,500年前の十和田噴火)
縄文海進+2〜3m
(説により+5〜6m)
温暖化と冬期の積雪量減少。 ○西日本のブナ林孤立分布。
○東日本のブナ林後退。
○三陸沿岸の貝塚
・ハイガイの北上。
中期 5000年前
・ムラの数が全国的に最も多くなり、規模も大きくなる。
(紫波西田遺跡)
(一戸町御所野遺跡)
(宮古市高根遺跡)
・前期に続き貝塚が多く造られる。
(大船渡市蛸ノ浦貝塚)
(陸前高田市中沢浜貝塚)
★第2段階のムラが造られる。
 ムラの中心部にお墓が造られ始める。

・岩礁性二枚貝を中心とした貝塚が造られる。
★第3段階のムラが造られる。
 大規模な土木工事によりムラを造る。
(他に例を見ない形となる)

・斜面部に大規模な土器捨て場が造られる。
★第4段階のムラが造られる。
 ムラの中心部にお墓と貯蔵用の穴が多く掘られる。
後期 4000年前
・ムラの数が次第に少なくなる。
・ストーン・サークルが造られる。
(秋田県大湯環状列石)
(大迫町立石遺跡)
(花泉町貝鳥貝塚)
(陸前高田市門前貝塚)
(宮古市わたのは遺跡)
★第5段階のムラが造られる。
 ムラの形がストーン・サークルに似る。
・斜面部に小規模な土器捨て場が造られる。
晩期 3000年前
・ムラの数がとても少なくなる。
・薄手で精巧な土器が造られる。
(大船渡市大洞貝塚)
(宮古市近内遺跡)
・少量の遺物が出土。 やや冷涼化。湿潤化。
冬期の積雪量増加。
・ブナ属の拡大(スギ属と競合)
弥生時代 2300年前
・稲作が始まる。
(宮古市上村貝塚)
・少量の遺物が出土。 現在と同じ ・現在の自然植生分布と同じ。