宮古市教育委員会資料より
計画的村づくり
| 今回までの調査で分かったこと | |
| 東集落 | |
| 東集落での縄文中期の竪穴式住居跡は、およそ50棟ほど見つかっています。まだ掘っていない部分にも、同じ割合で住居があったと仮定すれば、東集落全体で、80〜90棟の竪穴式住居が存在したことになります。 | |
| 西集落 | |
| また、西集落は、東集落の3倍くらいの面積がありますが、ほとんどが壊されており、正確な遺構数を出せませんが、東集落と同じ様な割合で計算すると、およそ240〜270棟くらいあったということになります。 | |
| 遺構全体 | |
| この結果、遺構全体で縄文中期の竪穴式住居跡の総数は、350棟くらいあったと推定されます | |
| 崎山貝塚の5段階にわたる村の移り変わりは、中央広場を中心に、大規模な土木工事が、計画的に行われたことが、専門家の調べで分かりました。 | |
| 定説では、土地の開墾などの本格的な土木工事は、鉄器や木器などの工具が発達した弥生時代に始まったとされています。 | |
| 文化庁の岡村道雄主任文化財調査官は、「これまで発掘された縄文遺跡では、緩斜面を切り崩して平地をつくる大規模な造成工事は見られなかった」と言っています。 |