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第1は、村の形がほかの遺跡ではみられないものが多いことだ。 |
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そのひとつがむらのまんなかに島のようにもり上がった広場があり、そこに1mほどの高さの石を立てていた。まるで神のすむ所とでもいうような特別なばしょを作っていたこと。いぜんはもう1つ石があったということなんだ。こんな広場や、人がわざわざ土地を改造した例は全国でもほとんどないね。 |
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すまいが東西に分かれていること。 |
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村の斜面の貝塚は、縄文時代前期のものもあり、全国でもあまりないものだ。研究の大事な資料なんだよ。 |
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第2は遺跡がむかしからこわされていないで残っていることだ。 |
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村と貝塚が両方とものこっているのは全国的にも数が少なく、貴重なんだよ。 |
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それに、まわりの自然はその当時からまったく手が加えられない状態で保存されているんだ。これは当時のくらしを知るにはたいへんありがたいことだね。 |
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また、まだ調べていない湿地帯が遺跡のまわり取りまいていて、ここでは植物で作った物(ぬの・あみもの)の発見の可能性がとても大きいんだ。わくわくするよね。 |
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第3は、当時から漁業がさかんだったこと。 |
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ここ宮古市は水産漁業がたいへんさかんな町なんだけど、何千年も前の縄文のころからすでに漁業がさかんだったことはびっくりするね。 |