宮古市教育委員会資料より
崎山貝塚の移り変わり
| 縄文時代は、今からおよそ1万年以上前に始まり、2,300年前まで続きました。崎山貝塚に人々が暮らしていたのは、主に縄文時代の前期(6,000年前)から後期(3,000年前)で、およそ3,000年間にもわたりました。時期毎に、遺構(ムラの形)の配置が違うことから、5段階の移り変わりが考えられます。 |
第1段階
発掘された遺構で縄文前期のものは、土坑(どこう)跡(土を掘った穴の跡)が2基だけで、ムラの様子がよく分かっていません。中期以降の人々がムラを造るときに、古いムラを壊したと考えられます。貝塚や土器の捨て場の様子から、前期にも大規模なムラが造られていたと考えられています。
第2段階
中期前半では、中央部にお墓や土坑跡、西部に竪穴式住居跡が見つかっています。
第3段階
中期以降は、ムラの中央にお墓や広場を持つ規則正しい配置の大規模なムラが造られます。ムラの中心部が島状に高くなり、周辺がドーナツ状に低くなっています。環状遺構帯と呼ばれています。大規模な土木工事によってできたものと考えられ、形が他の遺構には見られない珍しいものです。
第4段階
環状遺構帯が次第に埋没し始めると、中央広場から環状遺構帯にかけて、無数の土坑が堀りこまれるようになります。この中には、お墓もありますが、ほとんどは木の実などの食料貯蔵用のものと考えられます。土坑跡の周辺からは、殻がむかれたドングリがまとまって見つかっています。ドングリなどの木の実を食料とするための共同作業やお祭りなどをする場所だったと考えられます。外側には、東西両側に居住区域がありますが、次第に中央部に寄ってきます。
第5段階
ムラは規則正しい形ですが、次第に規模が小さくなっていきます。中心部分に遺構が全くない円形の中央広場があり、外側に二重の輪状に遺構が配置されています。内側の輪は、配石遺構という石を並べたお墓や立石で構成されています。外側の輪は、配石遺構、お墓(土坑墓)、マグロの骨をまとめて埋めた穴、立ったまま出土した石棒(東側に位置)、土器片を敷きこの上で火をたいた穴、竪穴式住居跡で構成されています。ムラの形はストーン・サークルにとてもよく似ています。第3段階から第5段階へのムラの移り変わりを調べることにより、ストーン・サークルが成立する様子が詳しく分かる可能性が大きいと言えます。
このように、崎山貝塚では、縄文時代前期から後期にかけて、5段階にわたるムラの移り変わりが確認されています。