洪水調節

雄物川流域の主な洪水と被害状況 (成瀬ダム・環境アセス準備書より)

発生年月日

最大流量

全壊流出

半壊

床上浸水

床下浸水

浸水農地

1947.7.21

5050

308

0

13102

12259

18253

1969.7.28

2480

0

0

136

1168

9116

1972.7. 6

3300

1

2

261

1091

9095

1979.8. 6

2690

1

0

41

373

3599

1981.8.23

2280

0

1

2

9

1300

1987.8.18

3260

0

0

534

1040

5400

<注>最大流量は基準地点・椿川(雄和町)で、単位は立方メートル毎秒。

また被害状況は県の資料。単位は浸水農地がヘクタール、それ以外は棟。

 

建設省の主張

私たちの疑問

西仙北町 刈和野地区(1987年8月)

昭和62年8月の大洪水は、16日から17日にかけての断続的な豪雨により、無堤部の多い雄物川中流部を中心に氾濫。多くの被害を出しました。

東成瀬村 岩井川地区(1994年9月)

また平成6年9月30日は、台風の接近に伴い、早朝から激しい風雨に見舞われました。そのため、県内はJR全線で運休や大幅な遅れ、道路も国道の一部に土砂崩れがあり、家屋や農地も浸水及び冠水の被害を受けました。

(疑問1) まず、上図を見てください。建設省は「成瀬ダム・環境アセス準備書」で雄物川の洪水と被害の一覧表を提示しています。このなかで、1947年(昭和22年)の最大流量5050立方メートル毎秒という、大洪水を取り上げています。戦後の混乱期、国土が荒廃していた時期の災害をことさらに取り上げている理由は何なのでしょうか? その後、雄物川上流域にはしっかりした堤防が築かれました。時代背景の全く異なる終戦直後の洪水を引っ張り出してまで、成瀬ダムの必要性を強調すること自体、根拠の乏しさを自ら認めていることにはならないだろうか。

(疑問2) 左上の写真は、雄物川中流域での洪水被害のものですが、この西仙北町刈和野地区は地形上昔から「洪水常襲地帯」として知られるところ。はるか上流の「成瀬ダム」建設で解決できるものでは到底なく、現に建設省は「強首輪中堤整備」事業として平成14年度の完成を目指して工事を進めているのです。建設省のパンフでは、「雄物川中流部は、築堤による洪水浸水被害の解消を目指していますが、その中央部にある西仙北町強首地区は、15kmもの堤防がつながらないと治水効果の発揮できない地形となっています。そこで集落全体を堤防で囲む「輪中提」を整備し、強首地区を早期に洪水から守ります。」と、この地域独特の問題であることを認めているのです。

(疑問3) 左下の写真は、上流域の洪水として、建設省が引き合いに出しているものですが、ここの住宅や農地も川沿いの低地にあり、豪雨があれば浸水する地域として地元に知られている所です。湯沢工事事務所の所長は「成瀬ダムによってもこの浸水は防ぐことができない」と認めています。

(疑問4) 1500億円もの巨費が投じられる成瀬ダム。仮にこのダムができたとしても、治水基準点の雄和町椿川での水位調節能力は数センチ〜十数センチ程しか期待できないという。それもそのはず、成瀬ダムの集水面積は、同事業規模の玉川ダムの4分の1しかないのです。 

 

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