ルポ・森吉山ダム建設現場

 県境にある山を別とするなら,秋田県でもっとも高い山は森吉町と阿仁町にまたがる森吉山である。
 標高1454メートル。県立自然公園の中核をなし,よく知られた阿仁マタギの里・山岳信仰の象徴でもあるこの秀峰のふもとにて建設が進められているのが,森吉山ダムだ。
 小又川をせきとめ,総貯水容量7810万トンの水を湛える巨大ダム。堤体積585万立方メートルは完成すれば玉川ダム(115万立方メートル)をぶち抜いて秋田県一となる。
 米代川水系小又川にはもともと,太平湖で知られる1953年完成の森吉ダムがある。森吉山ダムはその12キロほど下流に着工。小又川沿いで生活していた14集落200世帯は,森吉山ダム工事にともなってふるさとを離れ,用地交渉から家屋移転はすべて終わり,周辺工事を経て本体工事が現在行われている。半日足らずの駆け足取材ながら,この森吉山ダムの横顔をのぞいてみた。    森吉山ダムのルーツを探ってみると,国土交通省直轄森吉山ダムは,秋田県の林野行政の無茶苦茶仰天ぶりを見事なまでに映し出している,ド馬鹿ダムであることがわかる。
 1972年(昭和47)の大雨で発生した大洪水がそもそものきっかけだ。この水害をかんたんに言うなら,森吉山麓の原生林を乱伐したツケで起きた洪水である(無明舎出版・編『ブナが危ない!――東北各地からの報告』)。洪水が起きた当時の新聞には「保水力の弱まった山」という表現がひんぱんに出てくる。ハゲ山と化した森吉山麓一帯に降った雨が斜面を駆け下り,土砂を伴って川へ一気に流れ込み,米代川や阿仁川を増水させた。下流で受けた被害の甚大さが,阿仁川ダム(森吉山ダムの前身)建設具体化を招き,翌73年にダム調査事務所開設というスピードで――。

……拡大人工造林計画のやり方は,チェーンソーでまたたくまにブナ林を皆伐し,ブルドーザーで押したり引いたり,山の表土ももろともに伐採した木を集めて,山の表土を丸裸にしてしまうというやり方で,それまで20〜30年かかってやった仕事を,2〜3年でやってのけるという超スピードで,すさまじい「山荒し」が強行された。そのやり方がいかにずさんなものであったかは,太平湖の湖面が遊覧船の進めないほど流木によって埋められたことからもわかる。
 ……
 国民の財産である国有林ブナ林を,山が丸裸になるほど皆伐して売っても営林局は赤字経営で,それだけではとどまらず,約1000円億円の税金(注・その後森吉山ダム事業費は1750億円に跳ね上がる)を使ってダムをつくらないと自然をもとのように治めることはできないという。これは裏を返していえば,森吉山山腹部のブナ林はそこに生えていただけで1000億円の働きをしていたことを意味している。
 (『ブナが危ない』より)    

森吉山のブナを伐り過ぎたから洪水になった。ブナを伐ったのは旧秋田営林局。ブナ林はもうもとには戻らない。営林局が森吉山のブナでどれだけ儲けたかはわからないが,森吉山ダムの事業費1750億円には遠く及ばないだろう。せいぜい数十億か(同)。歴代の秋田営林局長は林野庁長官に昇進した例が多いと聞く。森吉山にかぎるまい,秋田の原生林はクサレ官僚の私欲に使われたといったところだろう。    8月16日,森吉山へ登ってみた。山麓東側,いわゆるヒバクラコースだ。早朝5時に登山開始,アカハラやヒガラ・アオゲラの鳴き交わす道を登ってゆく。樹種は造林のスギからブナ,そしてモロビ(オオシラビソ=アオモリトドマツ)へと変わる。ヒバクラ岳から森林限界に達し,ウソやカヤクグリ・ルリビタキのさえずる高層湿原・山人平(やまびとだいら)を経て森吉の峰へとりつく。山頂が近づいたころイヌワシが勇姿を現した。八幡平の山なみを眺めつつ,八時半過ぎに頂上へ。
 好天に恵まれたため景色は良好。ホシガラスが鳴いている。眼下に田沢湖を見下ろし,てっぺんを雲に覆われた岩手山や日本海男鹿半島,白神山地や遠く鳥海山の姿も。すばらしい眺めだ。
 しかし足もとの山麓は無残なものだった。
 ブナの伐採跡が痛々しい。森吉山の登山道は,登山者の目に付かないところを狙うように,あるいは登山道周辺のみヘビのごとく樹木を残して,ブナを伐採しているという。栗駒山麓と同様,良質のブナが生育していたであろう緩斜面は根こそぎ剥ぎ取られ,貧相なスギだかが植えられていた。紅葉期にはこの山にも“黒アザ”が出現して,燃え上がる山なみを期待していた観光客をがっかりさせることだろう。栗駒山と同様に。
 ダム工事現場も望める。森吉山ダムは岩石を積みあげて造るロックフィル式ダムであるため,ロック(岩石)を採掘する原石山の奇異な姿も。これがリアルタイムで見る巨大ダム建設工程か――。
 山頂からは見えなかったが,森吉山にはコクド(西武)という観光資本が経営する大型スキー場がふたつある。そのゴンドラの駅舎が見えた。なんでもゴンドラは,樹氷で知られるモロビが林立する山頂直下まで,拡張が画策されているという。阿仁町側と森吉町側のスキー場を,山頂部分でくっつけようという魂胆だ。自然を喰に物にする人間のクズどもが,相も変わらず腐臭をただよわせているようだ。    森吉山を下山し,ダム工事現場に近づいてみる。車道沿いに「○○組」「○○建設現場事務所」「工事関係者以外立ち入り禁止」のものものしい立て札があちこちに。
 原石山。かつての姿は知らないが,この緑深い(といってもスギ人工林が多い)自然のただ中にこの奇妙な光景――。巨大ロボットの残骸のような山肌だ。怪獣が暴れてもミサイルをぶち込んでも,こうもスマートに山は壊れないだろう。まるでカッターナイフをつかったようにじわじわと,平らに,原石山は削ぎ落とされている。ひな壇よろしく三段に形づくられて。段の付け根からは,さすがに食い止めきれなかったのだろう,崩落の土砂がこぼれ落ちた跡が

                        (↑原石山)  

 そこから数分と走らないところがダム本体工事現場だ。
 これは……岩手県の胆沢ダム工事現場より広いのではないだろうか? 堤体積が日本最大となる胆沢ダムは胆沢川両岸がせまく切り立っていて,素人目にもダム適地と思えた。しかしここ森吉山ダム現場はかなり広々とした開放的な立地。工事用道路が車道並みかそれ以上に広く,ダムサイトがどこにあたるのか,にわかには判別できなかった。
 車道沿いに『森吉山ダム広報館』というダムPR施設がある。ダム工事現場を一望できる場所だ。そこの広場からダム工事現場を望む。

                      (↑ダムサイト左岸を望む)  

 それにしても……あきれるほど広い。視界にすべてがおさまりきれない。森吉山ダムの堤長は786メートル,高さは89.9メートルだ。ここからあちらの岸まで,コンクリートと岩石の集合体を渡らせるのか。それも玉川ダムのような“壁”ではなく,ピラミッド型の建造物を……。

                  (↑森吉山ダム堤体右岸)

 いまはお盆休みなのだろう,工事関係者の姿はなく,重機やトラックは現場に整然と並んでいた。ダンプは超大型,めったにお目にかかれない46トン車だ。それが10台余り,すこし離れたところにも4台置かれている。あの図体では公道は走れまい。どうやってここに持ってきたのだろうか?    『広報館』に入ってみる。お盆休みの日曜だけに見学者が多い。建物は木材をふんだんに使用してエコロジーの演出ぶり。広々としたフロアには森吉山ダムのPRパネルをところ狭しと掲示してある。木製の机と椅子を並べた教室ふうの研修室も。美人顔の案内嬢にかんたんに話を聞いてみた。
 「この施設は昨年9月にオープンしました。これまで3万6000人から7000人の方が訪れています。団体の見学者も多いです。
 森吉山ダムの用地交渉は平成8年(1996年)に完了しました。ダム完成は23年(2011年)の予定です。ダムの濁水対策ですか? 濁水処理施設はふたつあると聞きました。選択取水…? さあ…私は濁水処理としか……」

                (↑森吉山ダム広報館)  

 建物を出てふたたび展望広場へ。広大な建設現場を背景に,ダムの概略図のパネルがここにも掲げられている。ひときわ大きな建て看板は『森吉山ダム移転集落概要図』。ダム工事によってふるさとを追われた民家・学校などの,過去をしのぶ絵柄が午後の陽ざしを浴びていた。

   いま建設の是非が問われている成瀬ダムは,総貯水容量は森吉山ダムにほぼ匹敵するが,堤体積は森吉山ダムの倍を超える。成瀬ダムを是とする人に言いたい。森吉山ダム建設地を見るがいい,と。

(文責 M.H ) 

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