秋田県成瀬ダム 先祖伝来の知恵「番水」でダムはいらない
イヌワシやクマタカの生息が問題となっている公共事業が、1994年以降で64件にのぼる。秋田県・成瀬ダムもそんな事業の一つ。建設省はダム建設の目的の一つに農業用水をあげるが、「日照りに不作なし」を実証してきたこの地方に、ダムはいらない。
秋田県雄勝郡東成瀬村に建設予定の「成瀬ダム」(総事業費1500億円、総貯水量8030万立方メートル)は、1995年6月に川辺川ダム(熊本県)や徳山ダム(岐阜県)などとともに建設省直轄ダム事業の見直し対象となりながら、「事業は妥当」との判断のもとに着々と準備が進行している。 一昨年の秋、環境アセスメントに植生の大量誤記載が発覚した。青森と秋田県境の白神山地に劣らぬ種の多様性を裏付けた内容に修正されながらも、希少な動植物への「影響は少ない」と結論づけて、環境影響評価書は締めくくられた。 完成すれば栗駒山・栃ヶ森山周辺森林生態系保護地域をも水没の危機にさらす巨大多目的ダム・成瀬ダムは、沸き起こる地元住民たちの疑問をかわしながら、着工へ向けて踏み出そうとしている。 長ぐつ半分程度の治水効果 ダムの目的は利水(農業用水)と治水(洪水調節)に大別される。 利水の最大の柱である農業用水(2850万立方メートル)について、建設省は評価書の中で「慢性的な水不足」の現れとして「番水制の実施」「皆瀬ダムの底水利用」などを挙げている。しかし番水とは、渇水の不安を緩和するために先人農業者があみ出した水管理技術であり、代々受け継がれてきた農民の文化である。秋田県南地方の農民たちは水不足を予見して、かなり早い段階から番水の実施に努め、「日照りに不作なし」を実証してきた。 秋田農林水産統計年報によると、94年の秋田県南三市三郡の水稲の被害総量は5760トンの減収。この年は全国的な大旱魃だったが、未曾有の大冷害に見舞われた93年の被害5万3500トンと比較してほしい。94年の干害なんぞは、当年被害総量の一割強を記録したに過ぎない。 それでも農家が水不足を訴えるとすれば、それは5月の「しろかき水」であり、一時期に集中して田に水を引くことが要因である。これは営農サイクルを調整し、かつ排水の循環利用を促進すれば解決できる。また市民団体「成瀬の水とダムを考える会」事務局長・熊沢文男氏は、休耕田の溜め池への転用や地下水の有効利用と水源地の保全を提唱している。 当然ながら、成瀬ダムに絡む農業土地改良事業が農水省管轄で計画されている。事業費は概算で約400億円。導水の受益者となる農家の負担は一層重くのしかかることになる。成瀬ダムはただでさえ先行き不透明な農家の未来を撹乱し、さらなる水の無駄使いを促すものでしかないことがわかる。 では、洪水調節(1900万立方メートル)はどうか。実は現在、成瀬ダムの湛水区域のうち0.5ヘクタールが森林生態系保護地域に食い込んでいることで、林野庁との間で大問題となっている。建設省は「伐採などは行なわず、自然のまま残す」というが、洪水時にはこの森が水没する恐れがある。厳重に保護すべき森を沈めてまで守らねばならない下流域の安全とは何か、治水はどれだけ有効なのか。 成瀬ダムの集水面積68.1平方キロメートルは、予算ベースでほぼ同じ規模の県内にある玉川ダム(田沢湖町)の287平方キロメートルの4分の1に満たない。建設省の資料「成瀬ダム事業計画の概要」(96年5月)によると、計画の治水量では下流の洪水多発地帯での効果は5センチから最大でも16センチと、長靴の半分程度でしかない。 そもそも建設省が叫んでいる過去の洪水被害は、国土が荒廃の極みにあった戦後間もない頃のものだったり、別の河川水系への降雨や都市整備の遅れが主要因であったりなど、説得力の乏しさは目を見張るばかりだ。河川改修や堤防のかさ上げを進めればダムを造る以上に効果があるだろうし、水源地への広葉・落葉樹植林など「緑のダム」再生もまた急務である。 クマタカに気づかぬ調査員 建設省が96年5月から行なったイヌワシ・クマタカの調査でわかったことは、一言で言えばダム予定地におけるこれら希少な猛禽類の生息密度が非常に濃いということである。現場近くにはイヌワシの古巣、数キロ以上離れた所では営巣地も確認された。 ところが「成瀬ダムに係るイヌワシ・クマタカ調査委員会」の座長・小笠原高秋田大学教授は「(見つかった営巣地は)事業予定地からは距離が十分あるので影響はない」という。小笠原教授はかつて白神山地の青秋林道建設に批判的な立場から尽力した学者である。 また、ダム堤体に用いる岩石は、建設予定地に近い狐狼化山(ころげやま・1015メートル)北側斜面より採掘される予定だが、この山は東側が保護地域の一角を占め、データから見てもほぼ全域がイヌワシ・クマタカの高利用生息域である。なかでもクマタカ営巣地の存在は濃厚なのだが、建設省はいまだ営巣地を特定できず、前述の保護地域重複問題の一方の当事者である東北森林管理局も「推移を見守る」と素っ気ない。 岩手県胆沢町に建設中の胆沢ダムが採石山を変更したのは、技術的な理由ではなく実は環境アセスメントの結果によるものらしい。しかし、胆沢ダムでは何ら反対運動は起きていない。この違いは、日本自然保護協会が建設省湯沢工事事務所に対して指摘したように、成瀬ダムでの猛禽類調査のレベルが低いことを示す一例だろう。今年3月上旬、ダム予定地の雪の上を移動中、私の背後を一羽のクマタカの成鳥が旋回していた。上空10メートル付近を悠々と舞うクマタカを私は肉眼でじっくりと観察できたが、やや離れたところにいた調査員がそのクマタカに気がついた様子は見られなかった。 同じく中旬、狐狼化山のある部分に目星を付けてクマタカ出現を待ったところ、クマタカ三羽が相次いで飛び立ち、ディスプレイ(誇示飛行)を始めた。調査定点からは見えない角度だ。一羽が調査員の死角を脱した頃は、もはや肉眼では捉えられなかった。調査員は察知してくれただろうか。 繁殖期のさ中にダム予定地を自衛隊のヘリコプターが低空で通過しても、建設省は飛行自粛を申し入れるわけでもない。これは調査というより、ワシ・タカ牽制のための「見張り」ではないかと疑いたくなるのである。 アセスの追加調査で判明した事実は、私たちですら驚くほどの豊かな生態系を暗示していた。こんな優れた自然の中に、今どきなぜ「巨大ダム」なのか。極端にコストのかかる成瀬ダムは必要ない。赤滝神社は国道342号から沢に降りる途中にあり、その下に赤滝がある。雨乞い神社として長く流域の人々に親しまれ、農民の信仰の対象だったこの神社も滝も、水没を余儀なくされる。「赤滝と赤滝神社を残してほしい」という声に建設省は「神社は移転するが、赤滝は資料により保存する」と答えるのみだ。雨を司る神が宿り、成瀬川の象徴そのものといえる赤滝がダムに沈み、泥に埋まるのは住民にとって忍び難いに違いない。 吉野川可動堰をめぐる一連の動きを見ると、建設省は変わってきたかに見える。だが、成瀬ダムの周辺は依然こんなものである。成瀬ダムは現時点では家屋移転を伴わず、現地の反対の声もまだ小さい。しかし建設省は「在郷」を侮ってはならない。私たちの文化の礎をなし、生活を支え、私たちが依存してきた自然と歴史の重みを、建設省は今こそ知るべきである。 ひわたし まこと・1968年生まれ。 「成瀬の水とダムを考える会」会員。 週刊金曜日1999.7.9(274号)掲載 |