赤滝へ昇った能恵姫の悲話

 

ダム予定地の赤滝

 

湯沢市の千歳公園にある能恵姫像

 

湯沢市岩崎地区に語り継がれる伝説「能恵姫物語」をご存じでしょうか。成瀬ダム建設により水没の運命にある赤滝神社の由来を探ってゆくと、この哀しい物語にたどり着きます。

 昔、岩崎城の殿様には、能恵姫という娘がいた。姫は十六才になり、川連城へ嫁ぐことが決まっていたが、婚礼の日に城下にある皆瀬川の淵に呑まれ、そのまま帰らぬ人となってしまった。姫は幼い日の約束を果たすため、サカリ淵の大蛇の妻となり、竜神と化したのだった…。

 岩崎城址千歳公園には、姫を祭る水神社があり、姫の命日には「初丑祭り」が行われる。公園の広場には、姫を忍ぶ能恵姫像も設置されている。岩崎の人にとって能恵姫は、はるか古(いにしえ)の精神の源流を紡ぐ人のような存在にみえる。

  姫たちは赤滝にいる

だが、能恵姫はすでにサカリ淵を去っている。それを知る人は少ないのではないか。 竜神夫婦は、上流の鉱山から流れ来る鉱毒を嫌って、いつしか成瀬川をさかのぼり、赤滝に落ち着いたと言われ、これが赤滝神社の縁起である−−−と。

    川連の龍泉寺

 赤滝は「雨乞いの神」ということを私は否定しない。だが、ここに田沢湖の辰子姫と並ぶ哀しい物語の存在も知って欲しい。能恵姫が湯沢・稲川・東成瀬三市町村の人々の心の故郷として、一つの伝説が残されているということを。
 姫の死(失踪)をきっかけに、川連に龍泉寺が建立された。能恵姫の婚約者であった川連城主の若殿が建てたといわれ、今も寺には姫の位牌が祭られている。
 川連根岸の寺跡には、姫のお墓も残されていて、失った人の悲しみを今に残している。
 私たちの祖先は、姫を失った悲しみと、「龍泉寺」というお寺の号と、姫の形見の品々(後に焼失した)、そして位牌をゆだねた。
 川連城主小野寺氏、岩崎城主岩崎氏ともその後の戦乱に巻き込まれ滅亡した。能恵姫の話だけが老人から子供へと語り継がれ、五百年の年月が過ぎようとしている。
 姫だけは今も16歳のままで、今日の赤滝の行く末を、澄んだ目で見続けているのではないか。

      泥の景観

 赤滝には魚はいないが、その美しい景観は菅江真澄も絶賛した。永年、下流域農民は、霊験あらたかな「雨乞いの神」として、深い信仰を注いできた。能恵姫が竜神と化したのは、人々を渇水や洪水から身を挺して救うためと信じられてきた。成瀬ダムはその滝を神もろとも水没させようとしている。堆積物の泥の中に埋没した御神体、泥の上には発砲スチロールやペットボトルのごみを載せる秋の風景を描こうとしている。

        選択と負担

 感情論はともかく、赤滝を沈めるしか選択の余地がないのか。農業用水は本当に現在倍も必要なのか。かって赤滝を詣でた農民が真にそれを切望しているのか。そして二○年後の農業者は、その負担に耐えれる余裕があるのか。
 秋田県の負担も大きい。森吉山ダムの30倍の潅漑用水を取水する成瀬ダム。県民の負担も森吉の比ではない。県知事はそのことを十分に計算しているのだろうか。(特定多目的ダム法による負担)
 昨年十二月一五日の「水神社・初丑祭り」は実に勇壮に行われた。見ていて、これは後世に残すべき貴重な水文化の象徴だという感をますます深くした。先祖伝来の「番水技術」とともに、継承に値するものと信ずる。能恵姫の岩崎町だけでなく、かって信仰に生きた雄物川水系住民全体にひろく訴えたい。

※注1 岩崎町郷土誌(1940)では岩崎の八幡神社が東福寺の鉱毒を避けて、仁郷の赤滝に移ったとある。
                                      (文責・MH)

「成瀬の水だより」(2000年1月号)より

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