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_こ_ざわ__し_し_おどり

小沢「鹿子踊り」の起源



関連項目
●元明天皇の和銅年間(約一二五0年前)猿丸太夫が天皇の怒リに触れてこの地横山の里
__(宮古の古称)に流されたとき、里人は殿上人であった太夫に頼んで八幡宮の宮守にな
__ってもらった。
●太夫は失意の日々を山野に遊ぶ鹿に慰められ、里人の善意に支えられて暮らしていたが、
・・・・ 「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」
__と詠んだ配所の歌が上聞に達し許されて都へ帰って行った。
●里人は今更ながら太夫の徳をしのぴ、鹿にたわむれていた往時の太夫の心情に想いをは
__せて鹿子踊を創案し、横山八幡宮の例祭日にこれを奉納したという。
● 爾来、時代の推移、民生の消長と共に幾星霜、鹿子踊リは黒森山麓の小沢部落にその
__命脈を保って来たのであるが、たまたま兄頼朝軍の目をかすめて平泉を逃れた源義経
__が、北方へ落ち延ぴる途次、当市黒森神社に参篭し、前途の平穏を祈願するため大磐
__若経を書写したと伝えられているが、小沢の鹿子踊リが義経の一行のつれづれを慰め
__たところ、義経は非常に喜ぴ、
・・・・「鄙の心のかく厚し、小沢の里よ鹿子よいやさか」
__と宣い、源氏の大将として都において華やかな歌舞音曲を身につけていた義経は、踊
__の所作、調ぺの妙ていについて数々の助言をなしたので、小沢鹿子踊リは一段と洗練
__されて雄渾華麗なものとなリ、その来歴とともに独自の踊リとして今日に伝承されたも
__のである。(宮古獅子踊り由来)_宮古獅子踊り保存会刊より

●主な踊りの種類

※踊の種類 踊リは全部一連のものであるが、次の五種に分けられる。

前庭

  • 前庭=獅子踊りのカ前庭といわれ、宮古に流された猿丸太夫が里人たちと親しくつき合い、深い信望を得ているさまを踊ったものである。

女獅子狂

  • 一匹の美Lい女師子を我がものにしようとする光景を踊ったもので、女獅子と最初に登場する男獅子(太夫)が相思相愛となり結ぱれたさまを見た二匹の男獅子(花獅子)が、男獅子(太夫)を追いやり我も我もと女獅子にいいよるが、女獅子に気にいられない。その様子をながめていたかり獅子が我ならばと二匹を追い出し女獅子にせまる。しかし女獅子には気に入れなかった。女獅子は最初の男獅子(太夫)だけ好きだったのである。

綱がかり

  • 昔は舘の境にクイを打ち綱を張って我が領地を示し、また畑に稔る作物を綱で仕切ったが、この作物を喰おうとやってきた獅子が綱をくぐリぬけるための苦労を踊ったものである。クイのうたれた場所の土を堀ったリ様子を伺ったりする獅子の表情がよく現われている。

かかし踊り


後庭

  • 前庭に次ぐ踊りで、里人の信望を得た猿丸太夫が天皇に許され都へ帰る際、里人は太夫たちとの別れを悲しみ踊られたものである。

なお、この舞は、過日 郷土芸能の最高峰として明治神宮に奉納されました。

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