私には、6歳ちがいの、いわゆる「知恵遅れ」の弟がいます。私は小さい頃からこの弟のことでいろいろと複雑な思いをもってきました。
弟は今は体重が100キロ近くあり、かなりの肥満なのでお世辞にもかっこいいとは言えませんが、幼い頃はよく女の子に
間違えられるような、家族のひいき目をさしひいても、大変かわいらしい子でした。姉としてそんな弟を誇らしく思うと同時に、
自分自身はよく男の子に間違えられることもあって容姿のことでかなりコンプレックスがあり、弟をねたんでいました。
また母は知恵遅れの弟に対して親として当然ですが、たいそう手をかけ、可愛がっていました。もちろん私のことも母は深く愛してくれ、
面倒をみてくれていたのですが、わがままな私はいつも「弟ばかり可愛がられている」というひがみをもっていました。
しかし、弟の面倒をみるとよい姉だと評価されることもあり、私はよく弟の面倒をみていました。
私は小学2年のときに、家族のことを書く作文を課され、弟のことを書きました。弟は今は障害があるけれども、
いずれ必ずよくなって一緒にいろいろなことをして遊べるのだという内容でした。しかし、あることを境に私は決して弟の障害のことを
誰にも話さなくなりました。ある日、数人の友達と遊んでいた時のことです。どういうなりゆきでそうなったのか忘れましたが、
友達の一人が「障害者のマネ〜」といって、奇妙な体の動きをしてみせたのです。そこにいた友達はその姿を見て全員笑いましたが、
私だけは一人笑えませんでした。私の弟は「障害者」だ、弟のことが知れたら、私もみんなに馬鹿にされる、
笑われるという思いだけがうずまいていました。
実際のところは、弟のことで、誰かに差別されたり意地悪をされたりしたということは、これまでの私の人生の中でただの
一度もありません。もちろん、町を歩いているときに振り返って見られたりしたことはあります。
(それがいちばんこたえたといえばこたえましたが。)
それなのに、必要以上に弟のことで引け目を感じ、差別を恐れた私は、誰よりも弟を差別していたといえます。
また、私はよく弟に意地悪をしました。弟が何も言い返すことができず、体力的にも6歳離れた姉にやりかえすことができないのを
いいことに、いろいろと嫌がらせをしました。しかし、親の前では決してそんなそぶりをすることはなく、あくまでも弟の面倒をよくみる
いい姉のふりをしていました。
大学生になった私は、心身障害学を専攻しました。非常に優秀な先生と親切な友人に恵まれ、大学生活は楽しいものでした。
高校まで弟の障害をひた隠しにしたきたこととうってかわって,「障害者」の弟がいるということを武器に、
ゼミでも熱心に発言していました。しかし、本当のところは、弟に対する子どもの頃からの嫉妬心と差別感は依然として心の中にあって、
どうやっても消えることはありませんでした。
大学4年生になり、私は卒業後のことを考えなくてはならなくなりました。しかし、小さい頃から特に将来の目標というものを
もたなかったため、就職のことを考えるとものすごいストレスを感じるようになっていました。
そんなとき、友人の一人がクリスチャンになり、私に聖書の話をしてくれるようになりました。宗教というものに反発を感じていた私は
彼女に対してキリスト教への批判を繰り返しましたが、ある時彼女が口にした
”「宗教はいろいろあるけれど、神様は愛であるというのはキリスト教だけだ」”という言葉が胸にせまりました。
そこで、教会へ行って就職のことなど、悩みを相談してみようかと思い、ある日教会へ行ってみました。
応対してくれた牧師は非常に親切な方で、あとから思えば非常にご多忙だったにもかかわらず、
長時間にわたって私の悩みを聞いてくれました。それからその教会へ通うようになり、聖書の話を聞いていくうちに、
少しずつではありますが、神を信じて悩みをゆだねてみようかという気持ちになっていきました。
しかしその一方で自分が罪人だということがなかなか理解できませんでした。
そんなある日、牧師から勧められて三浦綾子さんの小説「塩狩峠」を読みました。主人公であるクリスチャンの鉄道職員永野信夫が、
自分の結納の日に、冬の塩狩峠で突然暴走を始めた列車を止めるため、自分の体を投げ出して全乗客の命を救ったという内容です。
実話がもとになっています。
信夫には足の不自由な妹をもつ、吉川という親友がいます。ある時、信夫は吉川に、君には自分にはない広やかさや暖かさがあると
言います。すると吉川は答えます。「そうかなあ、だとしたら、それはふじ子(吉川の妹)のせいだよ。ぼくは小さい時から、
ふじ子の足がかわいそうで何よりも先にふじ子のことをしてやりたかった。菓子をもらっても、ふじ子にたくさんやりたくなる。
外を歩いていても、ふじ子に道のいいところを歩かせたくなる。ぼくが何かを買ってもらうよりも、
ふじ子が先に買ってもらったほうがうれしくなる。そんなふうにいつの間になってしまったんだな。
君だって、万一妹さんが・・・待子さんと言ったっけ・・・体が不自由ならそうなるよ。」
この台詞に私は頭をがーんとなぐられたようなショックを受けました。私にも障害をもった弟がいある。なのに、吉川が言うような
「何よりも先にふじ子のことをしてやりたかった」という思いが私にはまったくない。それどころか、私は弟をじゃまに思い、
親からの愛を独占しているとねたみ、加えて弟が小さい頃から意地悪をしてきた。
この時私は頭ではなく、心で、自分が本当に罪人だと理解しました。どうしようもない罪人だと心から感じられ、
弟に対して本当に申し訳ないという思いでいっぱいになりました。今思えば、聖霊さまが悔い改めを導かれたのだと思いますが、
神様に、この私のみにくく、汚れた、どうしようもない罪を許してほしい、弟に私を許してほしいと真剣に思いました。
ほとんど声にならない状態でしたが、私はふりしぼるように心から神に許しを叫んでいました。
泣いて泣いて泣きまくり、少し落ち着いた時に、夏の盛りだったこともあって、自分が涙と鼻水と汗とでぐじゃぐじゃに
なってしまったことに気づき、私はシャワーをあびました。ここで奇跡が起きたのです。その時の私の心には弟に対するねたみや罪責感、
弟の障害を恥じる気持ちなどが、黒い大きなかたまりとしてあったのですが、このかたまりが汗や鼻水とともに、シャワーをあびたときに、
すうっと、本当にすうっとという感じで流れて消えてしまったのでした。そしてなにやらわけがわからないでいるうちに、
弟に対して今まで抱いたことのなかった、純粋な愛情が次から次へと胸の中にわきだしてきたのでした。
この瞬間、私は悟りました。神様は本当におられる。私は自分が罪人だと思わなかったけれど、神様は悔い改めそのものをくださった。
そして私の罪をゆるし、次へと完全にきよめてくださった。本当に一方的としかいえない恵みでした。
この経験が決定的なものとなり、私はイエス・キリストを救い主として受け入れ、信じてクリスチャンになりました。弟に対しても、
この愛情が消えたらどうしようと最初は心配したりもしたのですが、それはまったく無用であり、今にいたるまで弟を愛する気持ちが
与えられつづけています。
一人子なるイエス様を、私の罪の身代わりとして十字架にかけるほどに私を愛してくださった父なる神様は、イエス・キリストの復活を
信じる信仰を与えてくださり、私をゆるし、栄光を現してくださいました。生ける真の神であられる主イエス・キリストに、
栄光とほまれと賛美がとこしえにありますように。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
Tヨハネの手紙1:9