”我が魂よ、主をほめよ。 我がうちなる全てのものよ、その聖なる御名をほめよ。”
”我が魂よ、主をほめよ。 その全ての恵みを心にとめよ。 主はあなたの全ての不義を許し、あなたの全ての病をいやし、
あなたの命を墓から贖いいだし、いつくしみと、 憐れみとをあなたにこうむらせ、あなたの生きながらえる限り、
良き物をもってあなたをあきたらせる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。” (詩篇 103篇)
”自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。 私は言った、”私のとがを主に告白しよう”と。
その時あなたは私のおかした罪を許された。” (詩篇32篇1〜5節)
”その罪を隠す者は栄えることがない、言い表してこれを離れる者は、憐れみを受ける。” (箴言28章13節)
”もし、私達が自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方であるから、その罪を許し、全ての不義から私達をきよめて下さる。"
(第一ヨハネ1章9節)
”全ての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、
キリスト・イエスによる贖いによって義とされるのである。” (ローマ3章23,24節)
先月、私が教会の礼拝で、賛美の伴奏と歌のリードをさせていただいた時、私の賛美が神様へ届かないのを感じ、戸惑いました。
そうしているうちに、聖霊様がやさしく私に教えてくださいました。”神様の働きをすることは、すばらしいことであり、
大切なことである。
その故に、私自身がきよめられる必要があることを教えてくださいました。 私自身がきよめられていないと、
神様のすばらしい御栄光をそのまま表すこと、御業を成していくことは出来ない”と、やさしく語ってくださいました。
そして、聖霊様が私の罪を教えてくださいました。 礼拝後、家に帰り、祈りました。 思わず、ひざまずき、ひれ伏し、
涙ボロボロ、鼻水グショグショ、悔い改めました。 その悔い改めた後、私が今まで気づいてもいなかった重荷から開放され心が軽くなり、
それと共に神様の大きな愛を感じました。 真にそうですよね、罪を隠して神様のすばらしい働きをしようなんて、
あまりにも都合が良すぎますよね。 次の日、何気なくピアノの前に座り、ただただ指が動くまま弾いていました。
そのうちに、私の心は神様への賛美で満たされ、その賛美がメロディーに合わせて言葉として出てきました。
新しい言葉と新しいメロディーでの賛美、この様な事は、私にとって初めての体験です。 これは、悔い改めた後、
神様が与えて下さったすばらしい御恵みでした。 私は今まで私の罪の故、神様のすばらしい愛を受け取ることを逃していたのでしょう。
今、私は日々、神様への祈りの中で、神様との関係にあって、妨げとなるものを全て取り去ってくださいと、祈り求めています。
祈りは聞かれますね、最近よく!聖霊様が私に、私が何となく感じていたもの、また私が罪と気付いていなかったものを教えてくださいます。
でも、これが神様の大いなる愛であり、深い憐れみということがよ〜く分かるんです! 悔い改める毎に私の心が軽くなり、
神様と私の間にあった隔たりの層が一つ二つと減っていき、神様の測り知れない愛と深い憐れみを今まで以上に受け取れるのです。
今まで、私はすばらしい神様の御恵みを自ら逃していました。 でも、神様の憐れみによって、そのことを教えていただき、
とても感謝しています。 ”その罪を隠す者は栄えることがない、言い表してこれを離れる者は、憐れみを受ける。”
本当にその通りでした。 ハレルヤ!
私が人前で歌を歌うというのは、まさに神様のお働きです。 何故なら、私は十八年間も歌を歌えなかったからです。
聖霊様のバプテズマと共に私の喉も開放され、今は、神様の愛と憐れみの中で、賛美を捧げています。
全能なる神様の御名が褒め称えられ、崇められますように。 全ての栄光が神様に帰されますように。 ハレルヤ!