私たちの住む久慈広域は、岩手県の三陸沿岸の北端に位置し、久慈市、種市町、野田村、山形村、大野村、普代村で構成されます。
東は太平洋に面し、北は青森県八戸、西は岩手県二戸、南は盛岡、宮古圏に隣接しています。
縄文遺跡が多く出土し、縄文人とのかかわりのあるアイヌ語系の地名が多く残っているなど、縄文時代から歴史を刻みつづけています。また、古くから琥珀の産地として知られ、奈良「正倉院」の宝物にも当地の琥珀が装飾物として使われているといわれているなど、古代のロマンが窺われます。
藩政時代には八戸藩の領地(一部は南部藩)として、砂金、金、馬、海産物の主産物として栄えましたが、一方では凶作、飢餓、津波等の災害にも相次いで見舞われました。 明治維新後は海産物、製鉄、木炭等の産業が振興され、特に木炭生産は戦前から現在まで、全国有数の生産量を誇ります。
総面積1,077ku、人 口69,419人(平成12年国勢調査) |
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